高次の現実——まずは、自分を形作っている回転マシーンの存在を知ること

時間と空間が意識に生み出されている仕組みは、複素空間の組織化という観点から言うなら、極めて単純なものなんだよね。
 
その原因は、主体が自らの虚軸(奥行き)の位置を他者の奥行きに同調させているところにあるんだ。——あの人からは世界はコレコレのように見えているだろう——という想像の視線だね。
 
虚軸は持続軸でもあるので、前後、左右、上下、どの方向にもセットすることができちゃう。僕たちの場合、このセッティングが左右方向や上下方向に大きく偏向しちゃってる。それによって、何が起こっているか—。
 
単純だ。本来、前方向にある奥行きが幅に乗っ取られるという状況が起こっている。これが3次元認識というやつだと思うといいよ。つまりは、僕らは、自分の眼差しの中で生きるのではなく、他者の眼差しを通して世界を見ることが普通になってしまっている、ということ。
 
ちょっと、残酷な言い方をするなら、最初から他者に食われている、ということ。
 
これによって、僕たちは自分の本当の住処を忘れてしまう。その痕跡は、かろうじて物理学的な遺跡の中に光のスピンとして残されている。幅の空間上で+1、−1としてプロットされる虚軸。それがそうだ。
 
光にはスピン0というものもあるが、これが、左右方向に回り込んで働いている奥行きのことだと考えるといい。横倒しにされてしまっている僕ら自身のことだ。スピン0は物理的な観測にはかからないとされている。当たり前だよね。それは、時間として外的空間に同一化しているから。
 
つまり、人が客観的に世界を見ているときは、奥行きは量子的空間(持続/こころ)から追い出されているということ。
 
こうして、横からの奥行きと幅(それぞれ時間と空間と呼ばれている)が世界を覆うことによって、本来の奥行きは幅によって上塗りされたものとして現れる。
 
これは、幅化してしまった奥行きが、その下で活動する真の奥行き=持続(精神)を感じ取ろうとしているということだ。これが、感性=知覚世界と呼んでいるものと考えるといい。
  
幅化した奥行きは、下に沈んだ自分の本性である真の奥行きを把みたいのだが、横側からの視線がそれを許さない。そこに「常に真の奥行きをつかみ損ねる」という、欲望の空回りの運動が生じてくる。
 
ラカンの言葉で言うなら、こうして、象徴界(横からの視線=時間)、想像界(幅化した奥行き=空間)、現実界(本来の奥行き)というトリアーデが、人間の欲望を駆動させる基本的なトポロジーとして組織化される、という仕組みになっている。
 
かつてシオリズムが語っていた「3つのL」、いわゆる、Like(同一化)、Long(差異化への欲望)、Love(愛)という、死ぬまで止まることのない自虐的な回転マシーンがここに働いているということだね。あ~あ、という感じ。
  
まずは、このマシーン(無意識の欲望機械)の回路を明確にカタチとして意識にあげることが大事。で、それが今までの自分という存在の骨になっていることを嫌というほど思い知ること。それがヌーソロジーでいう「顕在化の次元」の第一段階になる。
 
抽象的な話に聞こえるかもしれないけど、これが「高次の現実」のもっとも具体的な姿なんだよね。

人間の無意識の基本形式