たかが奥行き。されど奥行き。

奥行きを幅と全く等価なものにするものとは、至るところに存在する視点である。
 
この視点を借りて私たちは知覚野というものを作り出している。
 
このときの視点が構造としての他者に当たる。
 
私たちは他者が存在しなければ空間が3次元などと想像することはできないし、物が対象として現れることもない。
  
奥行きには私と物との関係がダイレクトに息づいている。
 
それは私の底に生きている別の主体という言い方もでき、私が世界に登場してくる以前からすでに実在していたものでもある。
 
奥行きにとっては、私とは、他者構造によって浮き上がってきた一つの記憶の形態にすぎない。
  
本来、奥行きとは、それ自体で、すでに物でもあり、心でもあるのだと考えよう。
 
そこに立つことさえできれば、思考は永遠の中で運動を始める。
  
石は凍れる音楽と言ったのはピタゴラスだったか。
 
ならば、素粒子とは、時空に溶け出してきた時間の結晶のようなものだろう。
 
創造的思考だけが、再びそれを結露に向かわせる。
  
空間とは君自身だ。
 
そのことに君が気づいたとき、
  
世界に最初の思考(エンノイア)が訪れる。
  
女神の誕生というわけだ。

時間の結晶