10月 5 2016
マイナーな民衆のために
ベルクソンは僕らが時間と呼んでいるものは空間と持続との混合であると言っていたが、他者の奥行きが自己には幅に見えることがまさにその混合を象徴している。持続の内部構造を見ていくにあって、まずはこの癒着を注意深く切り離していく必要があるのだが、このベッタリ感はかなり執拗で手強い。
時空と複素空間の混合。これは波動関数の基本的な形式ψ(r,t)=Ae^i/h'(p・r-Et)にも如実に現れている。外部(r,t)が複素空間の位相θの中に何気に組み込まれているのだ。これは持続が時空を巻き込んでいる様子とも言えるが、同時に時空が持続を束縛している様子とも言える。
複素空間から生まれた時空が、今度は複素空間の中に潜り込む。言い換えれば。無限小と無限大の間に交わされている無窮の呼吸運動。この反復がわたしたちの無意識の生態であることをまずは物理学者も心理学者も知るべきだろう。
フロイト=ラカン的にいうなら、この反復回路は欲望の生産回路でもあるということだ。
目の前には二種類の空間が重なっていると言ってきた。一つは他者と共通了解を取れる客観的空間。もう一つは、そこで想像力や記憶力が活動している秘私的な持続空間。この二種の空間の絡み合いを支配しているのが素粒子の内部構造である。それが見えてくれば、わたしたちの知性は全く別の大地に出る。
物質と精神を区別して語るのはもうそろそろ止めにしよう。宇宙全体をわたしたち自身の精神の活動場として看取していくための思考様式というものが実際に存在しているのだ。資本主義に奉仕するのを悪いとは言わないが、学問はそろそろそこに向かって動いてもいいのではないか。
宇宙的卵の膜を溶かして宇宙的精子をそこに流し込むこと。物質と精神の間に交わされるエロス。あらゆる生殖の原理はまさにここに根付いているのだから。
メジャーな人間を精一杯全うしながら、同時にマイナーな民衆としても生きろ。反時代的に、反大衆的に。それが”別人”の生というものだ。
1月 23 2017
古神道の世界はシャーマニックというよりイデアリスティック?
古神道というのは一般に古代日本人のアニミズム・シャーマニズム信仰として捉えられることが多いんだけど、実はその背景には極めてイデアリスティックなシステムが隠されていたのではないかと感じている。以前紹介した『十種神宝』なんかはその代表。こうしたイデア的側面に言及する研究者が少ないのがほんとに残念。
イデアと聞くとすぐプラトンが思い浮かぶかもしれないけど、ここで言っている「イデアリスティクなシステム」とは存在者が存在者であることを可能にしているもの、あるいはそれらを根拠づけているものと言ったような意味だね。物質世界をあらしめている存在の力の体系のようなもの。
それを持続空間の幾何学的構造として思考し続けているのがヌーソロジーでもあるわけだけど、その視点から見ると、十種神宝で表現されているそれぞれの形象はまさにその幾何学を象徴化したもののように見えてならないんだよね。デタラメにこうした形を取っているわけではない、ということ。下図上参照。
たとえば以前取り上げたオキツカガミとヘツカガミ(最初の上二つの図)。オキツカガミは開いているけど、ヘツカガミは閉じてるでしょ。オキツカガミは他者の目に映る世界。ヘツカガミは自己の目に映る世界。これがまさに時空と内部空間(素粒子の空間)の対応を象徴化している感じがしてる。
持続空間の言い出しっぺのベルクソンはその構造については弛緩と緊張という二つの軸に分けて考えるぐらいしかできなかったのね。弛緩が延長的時間や空間、緊張(収縮)が持続本来の時間を作るといった感じで。でも、十種神宝として示してある象徴図像は僕から見ると、持続構造の転変を表現しているように見えて仕方ないんだよね。
この図像の由来が分からないと何ともいえないところだけど、ひょっとすると古代日本人の精神性って本当は極めてイデア的だったんじゃないの。僕がカタカムナなんかに惹かれているのもそういう部分かな。
ちなみにヌーソロジーが考えるオキツカガミの空間とヘツカガミの空間は、光速度を「奥行き」と見た場合、時空(ミンコフスキー空間)と状態空間(単位球体)のような関係になる。後ろ=オキツカガミに映された空間は開いて、前=ヘツカガミに映された空間は閉じているのが分かるよね。見られる空間と見る空間は全く別物でバイスペイシアルな関係にあるということ。下図下参照。ただし、空間のz軸はct軸に重なっている。
ベルクソンは反転が見えていなかったんだね。だから、これらの関係を弛緩と緊張というイメージでしか表現できなかった。反転が見えれば、この図のように物理学ともうまく接続し、持続空間と延長空間の関係をイデア的知性の運動として理解していくことが可能になってくる。その文脈で見ていくと、十種神宝の全象徴はあたかもそのディレクション図のように構成されていってるのが分かってくる。
人間が時空と呼んでいるものがオキツカガミ(他者の視野空間)によって映された受動的世界でしかないということがこの図からもある程度は想像することができてくるのではないかと思う。君も日本人なら、このバイスペイシアル感覚を浮上させていこう!!
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: バイスペイシアル, プラトン, ベルクソン, ミンコフスキー空間, 十種神宝