ゴジラよ、蘇れ!!

ゴジラ像昨日の話。場所は東京有楽町。毎月仕事で訪れるS博士のクリニックが入っているビルの前に昔懐かしのゴジラ像が立っている。背丈1メートル強ぐらいのブロンズ像なのだが、なんでもっとでかいのを作らなかったの?というくらい目立たない。S博士のクリニック内は禁煙なので、訪問する前にわたしはいつもこのゴジラ像とにらめっこしながら一服するのが慣例である。

ところが、今月訪れてみると、このゴジラ像いつもと様子が違う。ん?何じゃありゃ。。誰かのイタズラか?と思って近づいてみると、な、なんと、丸の内消防署の火災予防運動の一環ということで、デカデカと「火災予防運動実施中」というタスキがかけられている。ありゃりゃのりゃ。ゴジラが火災予防運動の音頭取り?勘弁してくれ、消防庁さんよ。わたしの世代の子供心に残っているゴジラの崇高なイメージを汚さんでくれよ。ゴジラの原点はガメラとは違うんじゃ。人間の都合などこれっぽっちも考えていない破壊の帝王なんじゃぞ。海の中に潜み、どこからともなく神出鬼没に現れては、都市という都市を片っ端からぶっ壊して行く。それがゴジラたい。だいたい、デビュー作でこの銀座を火の海にしたのがこのゴジラじゃないか。それが何で火災予防運動のタスキをかけて有楽町に再び現れんといかんのじゃい!!

ゴジラが誕生したのはわたしが生まれる2年前、昭和29年=1954年。第二次世界大戦後の冷戦構造の中で米ソの核開発競争が激化する中、太平洋上での米の水爆実験による放射能を浴びて、海底深く秘かに生息していた巨大爬虫類が突然変異によってゴジラという怪獣に変態した(確かそんな生い立ちだったような……)。つまり、ゴジラとはテクノロジー批判の産物として天才・円谷英二の無意識が創造した神的暴力の結晶体だったはずだ。科学が作り出した兵器をものともせず、殺されても殺されても何度もよみがえり、人類に生命存在のまさにゾーエー的力を見せつけるために創造されたアンチ人間の象徴的存在だったはずだ。。何で、それが火災予防週間なんだょぉぉぉ〜。

常識的には自然と文明の対立軸は自明とされているが、人間が自然の範疇である限り、文明は自然の延長と見なされるべきではないのか。その意味では、自然界が持っている暴力と人間が科学テクノロジーによって作り出す暴力は、biolence=violenceとして、同類のものと見なされなくてはいけない。ゴジラは自然の神としてのモスラをも敵に回したことを思い出して欲しい。ゴジラという記号はこうした自然=科学連合に対するアンチとして、つまり反自然的な力の象徴として機能していたのだ。

今や、反自然的なレジスタンスは至る所で鎮圧され、世界は一つの巨大な自然帝国動物園になろうとしている。ここは科学崇拝と動物愛護が疑問の余地無く両立してしまうような自己欺瞞はなはだしい世界でもある。文明と自然の調和。。。そんな調和が帝国の描く理想郷なのだ。しかし、宇宙的ノモスにはそのような調和の体制はおそらく存在しない。

ゴジラよ、もう一度火を吹いたれや。このふうたんぬるい帝国の諸都市を、反自然の火力によって焼き尽くしたれや!!