2月 19 2016
大阪レクチャーの最後は「太陽」で締めくくります
3月の大阪レクチャー最終回ではヌーソロジーの視点から「太陽とは何か」についてまとめて話します。プラトン哲学、シュタイナー霊学、物部神道、現代物理学などがヌーソロジーの太陽論のもとにすべて融合する様が見えてくるのではないかと思います。ご来場をお待ちしています。
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太陽の本性について知るためには空間の反転認識が必須です。地球実体と太陽実体の関係は物質意識と霊的意識を支えるそれぞれの核のような役割を果たしていると考えるといいと思います。人間の意識は地球実体に焦点を持たされており、この焦点化によって霊的な力を物質として受容しています。
太陽実体を認識していくためには反転認識が必要になります。これは包み込むものと包み込まれるものの関係を逆転させて見ることのできるゲシュタルトです。ここでもいつも紹介している「観点を球面化させる空間認識」がこのゲシュタルトの基礎になります。この認識が生まれることによって、意識にエーテル知覚が生まれてきます。
エーテル知覚とは空間を持続体として知覚することと言い換えてもいいと思います。奥行き知覚と同じ意味です。太陽は人類全体の奥行き知覚が結合させられている場所です。奥行きにも様々な次元階層が存在しています。その統合化のプロセスが現在、太陽物理学がpp連鎖反応(太陽における核融合)と呼んでいるものに当たります。
地球実体と太陽実体の相互反転関係は地球の自転空間と公転空間の相互反転性として現れています。つまり、1日と1年です。地球から広がっているように見えている空間は実は、太陽の方に向かってすべて反転しています。この反転に潜在的に方向づけを行っているのが月です。
月はその意味で、物質的なものとエーテル的ものを合わせ持って働いています。この具有性は地上では自己の身体性として反映されています。物質でもあり精神でもあるということです。奥行きと幅を合わせ持っているという言い方もできます。月は物質と精神を二重化させている、つまり、他者空間と自己空間の調整を行っているということです。
地球の自転を物質空間の生成だとすれば、月の自転は精神空間の生成です。両者は互いに反転しています。その双方を等化している働きが月の公転として現れており、そのときの公転中心が今度は太陽へと方向を持たされています。それが地球の公転の意味です。つまり、地球の公転軌道とは正確な意味では月の公転中心の太陽に対する公転の軌跡と考えなければなりません。
現在の人間の空間認識は地球実体に沿ってしか働いていないので、地球-月-太陽の三者間におけるこうした反転の連続的な接続が全く見えていません。その歪曲によってミクロの空間構成とマクロの空間構成が全く別のものに見えてしまっているのだと考えて下さい。
奥行き知覚と幅知覚はエーテル知覚と物質知覚の関係と全く同じものです。反転したエーテル知覚が認識に浮上してくれば、地球と月の相互の回転運動の中に素粒子の生成機構があり、それらをエーテル核へと回収しているものが太陽だということが奥行き知覚自体の中で分かってくるはずです。
太陽は元素体(ヒト)の基礎(高次の精神の基体)となるもので、今度は自らを自転させることにより、地球実体の上次元へと方向性を作り出しています。再度、地球中心に向かって空間を反転させているということです。この方向性の数は太陽の自転周期26に反映されていると考えるといいと思います。この回転はすべて元素生成に関わっています。地球実体を等化した精神は物質空間における鉄原子として反映されています。
早くこうした宇宙観が常識になるといいなぁ。頑張るべ。
5月 27 2016
シュタイナーのつぶやきに対するつぶやき返し
今でこそ、ヌーソロジーはドゥルーズ哲学と現代物理学の接合に焦点を当てているんだけど、OCOT情報を解読していくに当たっては、初期の頃は伝統的な霊知に関する本を漁ってたんだよね。いわゆるオカルティズムというやつなんだけど。
ヘルメス文書はもとより、カバラやスーフィズム、古代バビロニアの神秘学からミトラ神学にまで手を延ばしたこともあったんだ。そこから、今度は一転してブラヴァッキーを始めとする近代オカルティズムの世界を探索していったのだけど、正直、みんな詳細に欠けていた。そうした中、90年代になって、シュタイナーと出会う。最初に読んだのは『神秘学概論』ってやつ。シュタイナーの思想は、人間の霊性の復活に対して思考を重んじるという点で、OCOT情報とすごく重なるところがあった。それに描写が繊細で他のものとは完全に一線を画していた。そこで何冊か続けて読んでいったのだけど、描かれている世界があまりに壮大なこともあって取りつく島がなく、それで、しばらくほったらかしにしてた。
でも、2010年代になって、お世話になっている大学の方で研究会をやり始めて、そこにシュタイナー研究に長年勤しんでいるFさんとOさんも参加してくれ、ドゥルーズ哲学を切り口にしてヌーソロジーとシュタイナーの比較作業みたいなことが始まったんだよね。それでこの三者には多くの共通点があることが分かりだした。今、出版準備をしているシュタイナー思想とのコラボ本もそういう流れで生まれてきたものなの。ただ、三人の共著ということで、分量があまりに多くなってしまい、どういうスタイルで出版するか、今、出版社の方で検討中で、そのため発刊が大幅に遅れているんだけど、必ず出るので楽しみにしていてね。濃いよ(笑)。
で、発刊に向けてのデモンストレーションというわけでもないのだけど、ツイッターの方で、シュタイナーのつぶやきに対するつぶやき返しをツイートし始めた。今日はその内容をちょっとだけ紹介。。
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ルドルフ・シュタイナー @R_Steiner_jp
ゲーテは全自然の中に精神が浸透していると考えていた。その形式が様々であるのは、精神がそれらの中に多かれ少なかれ外的にもまた見られることによる。死せる、精神を欠いた物質なるものをゲーテは知らない。-ゲーテの自然観-
半田広宣 @kohsen
一体どのようにして自然の中に精神を浸透させていくのか、相互了解可能なその方法論が今までは見つからなかったわけです。ヌーソロジーの特徴は奥行きを持続の位置とし、それを虚軸に見立てダイレクトに自然の根底へと潜り込むところにあります。
ルドルフ・シュタイナー @R_Steiner_jp
人間は思考によって自然についてのイメージを外にあるもののように形成するのではなく、認識とは体験であることを示したかった。つまり、人間は認識によって事物の本質のなかに立つのである。-自伝-
半田広宣 @kohsen
事物の本質のなかに立つーーこれが本来の理解=under-standの意味するところですね。事物は対象として理解されるのではなく、自己自身として理解されなくてはいけません。グノーシス=Gnosisの意味もこうした知識を意味しています。
ルドルフ・シュタイナー @R_Steiner_jp
人間の意識は思考する意識である故に、必然的に自己意識でもなければならない。なぜなら思考の眼を自分自身の活動に向ける時、思考は自分の最も固有の本性である主観を客観対象として持つのだから。-自由の哲学-
半田広宣 @kohsen
主観を客観対象として持ったとき初めて思考するものと思考されるものが一致をみます。そこに出現してくるのが母なる物質=大文字のMATERIALです。主客の一致がここに現れてくるわけですが、これは判明な思考の運動として立ち上がってきます。
ルドルフ・シュタイナー @R_Steiner_jp
大切なのは、人間の内面の悪の中に身を置くことです。破壊のかまどの中で物質が破壊され、物質がカオスに帰せられるとき、そしてこの内面の破壊衝動に道徳衝動が注ぎ込まれるとき、私たち自身の中で、霊的な存在が芽を出し、育ち始めるのです。-内面の旅-
半田広宣 @kohsen
転倒が悪なのではありません。転倒の転倒が悪です。転倒の転倒へと力が傾斜していくことよって、同時にそこには転倒以前の状態へと帰還しようとする力が生まれてきます。自身の中の悪を凝視すること。悪を見つめられない人は本当の善に気づきません。
ルドルフ・シュタイナー @R_Steiner_jp
客観的なイデア世界が主観の中で蘇生し、自然の中で活動しているものが同時に人間の精神の中で生きて働く時に、主観と客観は出会う。こういう場合にのみ主観と客観のあらゆる対立が止揚される。-ゲーテの自然観-
半田広宣 @kohsen
主観と客観の出会いとは原初の反復のようなものです。この出会いの事件が現在、物理学で起こっている量子論という出来事なのです。主観と客観を表象で一致させてはいけません。そうした誘惑は意識を主観の中に閉じ込めてしまいます。
By kohsen • 01_ヌーソロジー, シュタイナー関連 • 0 • Tags: ゲーテ, シュタイナー