4月 10 2023
導火線に火をつけろ!!
ヌーソロジーでいう4次元性とは観察次元のことを言う。たとえば、目の前で3次元の球体をグルグルといろんな方向に回したとき、そこでは3次元の回転が起こっているわけだけど、その回転を見ている視線は回っていない。それが4次元性だということ。
今の私たちは、空間に浸透しているこうした観察次元の存在をすっかり忘れてしまっている。観察の視線も3次元の中にあると思い込んでいるから、認識が3次元から出られない。ただそれだけのこと。
観察次元としての空間とは持続のことでもある。つまりヌーソロジーがいう”精神”のことだ。だから、空間の中に精神を見出したなら、必然的に空間は内在性へと裏返る。そこにおいて存在が開くのだ。ちっとも難しい話じゃない。当たり前の話をしている。
当然、そこに現れる物も、今まで3次元で対象として見ていた涸っからの物ではなく、4次元の瑞々しさをたっぷりと含んだ物へと変貌する。もはや物は存在者ではなく、”存在する存在者”へと変態を起こすわけだ。主客一致の認識がそこから立ち上がってくるということだ。
永遠の相の下で物を見ること——こうした認識はスピノザのいう第三種の認識に対応している。彼のいう能産的自然の認識だ。この認識はヌース(能動知性)によって生まれる。生成のための思考を供給していく力のことである。
能動知性の目覚めは、内在の中に眠っていた本来的自己の目覚めと言い換えてもいいだろう。一度目覚めると彼の力はもう3次元の知では止めることはできない。言わば、プネウマの発火のような事件だからね。大いなる息となって物質を内側から本来的自己のフロー(霊流)へと変容させていく。
たぶんこれは存在史的必然だからもう止まらんよ。今から、4次元のあちこちで、この発火が起こってくるんじゃなかろうか。それもすごいスピードでね。ヌーソロジーも執拗にゲリラ戦を続行して行きます。





12月 5 2025
スピノザとヌーソロジー
スピノザの言う”三種の認識”をヌーソロジーのψ空間の顕在化構造に対応させ、従来の認識とヌーソロジーの認識の違いをジピに簡単にまとめさせてみました。ヌーソロジーは別に難しいものではないのですが、多くの人が難解に感じるのも、この段差のためだと思われます。参考にしてください。
⚫︎第一、第二野認識
僕らが日常で使っている認識のスタイルは、スピノザで言えば第一種と第二種の認識にあたる。
第一種認識(想像)
→ 感覚や経験による思い込み。「自分の目に映る世界がすべて」と信じる。
第二種認識(理性)
→ 科学や論理による客観的理解。「世界は法則でできている」と考える。
このスタイルでは、世界は「自分の外にある現実」として存在していて、僕らはそれを観察し、理解する者(=観測者)として振る舞う。つまり、人間型ゲシュタルトのことだね。
⚫︎第三の認識
一方で、ヌーソロジーが目指しているのは、スピノザでいう”第三種認識(直観知)”の世界に当たる。
この認識のスタイルにおいて、世界は「外にあるもの」ではなく、「自分という存在そのものの“内的な構文”として現れている」と見なされる。
わかりやすく言うなら、ヌーソロジーでは、「世界とは、自分の認識構造が投影されている場所にすぎない」と考えるということだ。
これは、従来の「世界 → 自分」という因果の向きを、「自分 → 世界」という反転の構図に変えることであり、認識スタイルの根底的なパラダイム転換を意味している。これが、トランスフォーマー型ゲシュタルトのことだね。
⚫︎なぜ自己視点を取り戻すことが重要なのか
ヌーソロジーは難解、といつも言われるのだが、なぜヌーソロジーが“難しく”感じられるのか?というと、それは、ヌーソロジーが「難しい理論」なのではなく、僕らの思考そのものに対して「お前はどこから世界を見ているのか」を問い直すからだ。
僕らはふだん、「目に見える世界をどう理解するか」に意識を向けているが、ヌーソロジーはその手前で、「そもそも“見る”という行為が、どのような空間構造を前提にしているのか?」を問う。
この“問いの向きの違い”こそが、ヌーソロジーの最大の特徴でり、”自己視点! 自己視点! “といつも叫んでいるのも、問いの向きの方向性を変えさせたいがためだ。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: スピノザ, 人間型ゲシュタルト