生産的性愛の奪回に向けて

思考する主体、思考される世界、さらにはそれを保証する神―これらは言葉を変えれば、超越論的自我、経験的自我、さらにはこの両極を反復させている慣性と言っていいだろう。この反復を逆転させることによって永遠回帰の現実がやってくると考えていいと思う。それが反転認識の目指すところだ。
 
思考する主体は持続において素粒子の中に潜り込んでいる。一方、思考される世界は架空の時空間的延長性の中にデッチ上げられている。この二つを反復させているものは上層に棲みついている父。母は父の言いなりになっている。彼らの間ではまともな性愛など営まれていやしない。
 
ヌーソロジーがユダヤ的精神と呼んでいるものはこの父のことだね。陰謀論を喚き立てても何も変わらない。この父を告発しないことには何も変わらない。そして、厄介なのはこの父の亡霊が今や全ての人間に棲みついているということ。
 
根は底なしに深いよ。
 
もちろん、ユダヤ的精神の中にもレジスタンスは存在している。それがカバラだね。ルーリア・カバラはこの父と母との間の性的不全を看破している。この性的不全によって「器の破壊」が起こっていると語るんだ。つまり超越論的自我が沈み込んでいるということ。魂(素粒子)が見えなくさせられているってことだけどね。
 
創造されたものと創造するものの境界には「器」があるんだよ。ドゴン族はそれをフォニオと呼んだし、古代日本人はそれを「石神(シャクジ)」と呼んだし、プラトンはそれをコーラと呼んだ。現代の物理学者はそれを素粒子と呼んでいるだけ。境界を打ち破ろう!!
 
【追記】
ルーリア・カバラが語るこの父と母との間の「性的不全」。気になるよね(笑)。ルーリアによれば、二人は互いに背を向けているらしい。互いに無関心だってこと。要は仮面夫婦になっちゃってる。神様が仮面夫婦を装ってるんだから、人間にその影響が及ばないはずがねぇーだろ、って感じかね(笑)
 
互いに背を向けているんだから、つまり、まともに見つめ合っちゃいない。後ろばっか見ている。。。。もう分かるよね。この意味。「前」に向かえよ、ってことなの。そしたら、ちったぁまともなセックスができるぜ、ってね。

器の破壊