8月 28 2018
ホセ・アグエイアスの「時間をはずした日」
ホセ・アグエイアスが作った「13の月の暦」に「時間をはずした日」という考え方がある。13の月の暦は28×13=364からなり、1年365日に一日足りない。この不足分の1日を時間の制約から逃れる日として、アグエイアスは聖なる日と考えた。
専門の研究家からすればオカルトの類に見えるのだろうが、この1日の意味は理性が考えるよりも遙かに深い。それは地球の自転と公転を円心関係に置き換えてみればすぐに分かる。この1日は両者を等化する回転を意味している。
天体周期は直線化した時間概念ではいかなる意味も持たせることはできないが、持続空間(存在)からすれば、精神の秩序を表現するものである。
太陽とは、ハイデガーの言葉で言うなら、隠蔽された存在の表現である。しかし、わたしたちはまだ太陽を存在者としてしか見れていない。太陽を存在の力へと性起させ、文字通り非隠蔽化させたとき、自然はフィシスへと生まれ変わる。
アグエイアスの「時間をはずした日」とは、その生まれ変わりの日を象徴するものだ。神道で言うなら、これは歳神のようなものだ。
この聖なる日において何が起こっているのか。これは自己と他者における無意識にある接触の位置と考えるといい。OCOT情報では、その位置のことを精神が精神を交差する位置と呼んでいる。この交差によって、持続空間(存在)は人間の意識に時間(存在者の位相)を送り出す。
これは、人間の原初的な時間感覚が一日における日の巡りによって起こっていることを意味している。時間の中で太陽や地球が回っているのではなく、太陽と地球あってこその時間だということ。それを推して知るべし。下図は一年と一日の円心関係を表した図。
理性に対して聖性を対抗させる時代はもうとっくの昔に終わっている。これからは、理性が生み出したものが十分に聖性に値するものであるということを語ることのできる新しい言葉を紡いでいくこと。ロゴスのヌースへの変容は、そのようして起こってくる。
9月 10 2018
地球の内部にあるほんとうの地球について
まずは、台風21号と北海道胆振東部地震で被害に遭われた方に心よりお見舞い申し上げます。とともに一日も早い復興をお祈り致します。
………………………
OCOT情報は地震の原因について次のように言う。
地震とは。
総体的な中和を持ったものが変換を起こすときに生み出される力。
火山とは。
変換作用そのもの。噴火とは方向性がないものを方向性があるものに変える力の反映。
(シリウスファイル19921010より)
台風については聞いてはいないが、次のような情報はある。
高気圧とは人間の意識の内面の方向性、
低気圧とは人間の意識の外面の方向性。
ということは、台風とは内面化(物質化)しすぎた意識を外面(精神方向)へと変換する調整のようなものとして解釈できる。実際、台風は「巻き込む」わけだし。
となれば、古来よりの「人心乱れれば、天地乱れる」という言い伝えにも、それなりに根拠があるのだろう。地球と人の心は人知が及ばないところで、何らかの形で繋がっているのだ。
そう言えば、外宇宙にロマンを持つ人たちには誠に申し訳ないのだが、OCOT情報は、人類が地球を飛び立ち、遠い星々に旅する時代なんてものは決してやってこないとも言っていた。外宇宙とはそのすべてが地球の内部の影のようなもので、人類が向かうべきは地球の内部なのだと。
と言って、ここで、一昔前の大衆オカルトが言っていたような「地球空洞説」のようなものをイメージしてもらっては困る。アガルタやシャンバラの本質は物の内部への侵入の意であり、その意識に見えている地球のことを言う。OCOT情報にいう「方向性があるもの」とは、そのような意識の力の意だ。
では、真のシャンバラへの視力はどのようして到来してくるのか——。
そのためには、まずは、世界を「物」の内部に変えないといけない。OCOT情報ではこうした意識領域のことを「付帯質の内面」と呼んでいる。空間を持続として見なす意識が働いている領域だ。奥行きが覚醒した空間と言える(※人間の意識の外面に当たる)。
一方、人間の経験的な意識領域の方は「付帯質の外面」だ。こちらが「物」の外部世界(※人間の意識の内面に当たる)。おなじみ、空間を延長として見る意識が働いている領域だ。今の人間は付帯質の外面の意識が先手で働き、付帯質の内面の意識の方は後手に回って潜在化し、外面と内面の間で反復している。要は現象界と潜象界の関係だ(下図参照)。
この付帯質の内面領域で活動しているものは、哲学の言葉で言うなら超越論的意識というものだ。人間の経験的意識を可能にしている経験以前の何か、ということになる。カントに倣って言うなら、私たちの意識に直観、構想力、悟性、理性、判断力、統覚といった諸能力を与えているものということになる。
ヌーソロジーでは、この潜在化した付帯質の内面で超越論的意識の構成を行っているものが素粒子だと考え、その空間構造をわたしたちの認識に引っ張り出そうとしていると思ってもらえばいい。そして、それは付帯質の外面側から見れば、物の内部としか言いようがない世界になっている。
カント以降の哲学は、そのほとんどが、物自体は存在しないと言い切るが、そんなことはないだろう。ここに示すように、経験的なものと超越論的のものの相関性自体が物自体の世界の始まりとしての、素粒子自体のことなのだ。そして、ここが地球の内部への入口になっているのだろうと思う。
ヌーソロジーが「シリウス」と呼んでいるのは、この「付帯質の内面」の世界のことだ。つまりは、ヒトの元止揚空間Ω7〜8(顕在化した次元観察子ψ1〜14の世界)。どうか、科学的宇宙観が入り混じった変な宇宙人話とごっちゃにしないように注意してほしい。
シリウス神話で有名なドゴン族の儀礼において朗唱される神アンマへの感謝の言葉——「アンマはひとつ。それは14の空間。アンマの名を唱えることは空間をひとつに保つこと。アンマの名はすべてのものを保ち守るもの」(M・グリオール、J・ディテルラン『青い狐』より)
ヒトの元止揚空間は「14」の空間からなっている。そして、OCOT情報はこの領域を「次元」と呼んでいる。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報, カント, ドゴン, 大系観察子, 素粒子