12月 2 2025
耳を澄ますということ
声が聞こえる。
それは、あの人の声だけじゃない。
どこか遠くから、
あるいは、
自分の胸の奥から——
何かが、そっと、響いてくる。
耳を澄ますということは、
静けさを聞くということ。
音と音のあいだにある
“言葉になる前の想い”に
そっと、心を傾けること。
誰かの言葉を聞いているようで、
それは、
いつしか自分の声にもなっている。
自分の声を聞いているようで、
そこには、
知らない誰かの気配が混ざっている。
耳を澄ますとは、
自分と他人のあいだに
橋をかけること。
いや、
その橋そのものになること。
見える世界は、
私が作ったものかもしれない。
けれど、
聞こえる世界は、
誰のものでもなく、
私たちみんなのもの。
風がそっと吹く。
葉が揺れる。
その音を、誰が聞いているのだろう。
もしかすると、
世界が私たちを
聞いてくれているのかもしれない。
耳を澄ますということは、
その静けさのなかに、
“私たち”が、
ひとつに、
なれるということ。




12月 3 2025
素粒子を内的なものに変えること
物質主義が世界を外に押し広げ、
霊性主義が世界を内に閉じ込める。
この二項はもはや対立ですらなく、
互いに背を向けたまま空転している。
だが、世界は本来、内と外を分けてなどいない。
私たちの意識の深奥において、
空間は構文として織り上げられ、
そこに「素粒子」という他者が立ち現れているにすぎない。
だから、いま必要なのはただ一つ。
素粒子を「外なる客体」として見るのをやめることだ。
それを、自らの認識の構文、
つまり“内なる持続の裂け目”として再発見すること。
意識の内に宿る空間構文——次元観察子なる空間構造体。
そこにおいて、物質と精神が交差している。
それが分かれば、私たちは、もはや信じる必要はなくなる。
とにかく、見るのだ。
物質の最深部に、自分がいることを。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0