声が聞こえる。
それは、あの人の声だけじゃない。
どこか遠くから、
あるいは、
自分の胸の奥から——
何かが、そっと、響いてくる。
耳を澄ますということは、
静けさを聞くということ。
音と音のあいだにある
“言葉になる前の想い”に
そっと、心を傾けること。
誰かの言葉を聞いているようで、
それは、
いつしか自分の声にもなっている。
自分の声を聞いているようで、
そこには、
知らない誰かの気配が混ざっている。
耳を澄ますとは、
自分と他人のあいだに
橋をかけること。
いや、
その橋そのものになること。
見える世界は、
私が作ったものかもしれない。
けれど、
聞こえる世界は、
誰のものでもなく、
私たちみんなのもの。
風がそっと吹く。
葉が揺れる。
その音を、誰が聞いているのだろう。
もしかすると、
世界が私たちを
聞いてくれているのかもしれない。
耳を澄ますということは、
その静けさのなかに、
“私たち”が、
ひとつに、
なれるということ。
12月 2 2025
耳を澄ますということ
声が聞こえる。
それは、あの人の声だけじゃない。
どこか遠くから、
あるいは、
自分の胸の奥から——
何かが、そっと、響いてくる。
耳を澄ますということは、
静けさを聞くということ。
音と音のあいだにある
“言葉になる前の想い”に
そっと、心を傾けること。
誰かの言葉を聞いているようで、
それは、
いつしか自分の声にもなっている。
自分の声を聞いているようで、
そこには、
知らない誰かの気配が混ざっている。
耳を澄ますとは、
自分と他人のあいだに
橋をかけること。
いや、
その橋そのものになること。
見える世界は、
私が作ったものかもしれない。
けれど、
聞こえる世界は、
誰のものでもなく、
私たちみんなのもの。
風がそっと吹く。
葉が揺れる。
その音を、誰が聞いているのだろう。
もしかすると、
世界が私たちを
聞いてくれているのかもしれない。
耳を澄ますということは、
その静けさのなかに、
“私たち”が、
ひとつに、
なれるということ。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0