7月 15 2025
その時、夜の静寂が大地を包み、砂漠の彼方に淡い月の光が揺らめいていた。ホルスは、父オシリスの仇であるセトと対峙していた。
二人の戦いは、まるで昼と夜がぶつかり合うような壮絶なものだった。両者の鋭利な視線が刃のように交差し、闇の中で一筋の火花が散った。そして、決定的な瞬間が訪れた。 セトは、ホルスの左目を奪った。彼が奪ったのは単なる肉の目ではない。ホルスの左目、すなわち「ウアジェトの目」は、すべてを見通す知恵の眼であり、ホルスが世界を内包的に捉える視点そのものだった。目を失った瞬間、ホルスの視界から霊光が奪われ、彼は暗闇の中に閉じ込められた。瞬く間に世界は彼から遠ざかり、ただ、そこには光の外の光だけが残された。
「お前はもう、見ることができないだろう」と、セトは笑った。「お前の内なる力は、すでに私が封じた。これからお前が見るのは、ただの外なる妄映の世界だ。すべてが外側にあるものとして認識される世界だ。」
ホルスの内包的な視点は、他者の視点によって歪められ、その結果、彼はまるで「すべてが外にある」かのように錯覚するようになった。まるで洞窟の中に囚われ、その奥に映し出される影を追いかけるように。だが、「ウアジェトの目」を失ったホルスには、その影が何を意味するのか、もはや理解することができなくなっていた。
ホルスは、母イシスが父の復活を願ってエジプト全土を旅したように、放浪に出た。奪われた左目は、他者の視点に導かれ、さまざまな場所をさまよいながらも、多くの外なる世界の知見を得た。しかし、それはホルスにとって苦しい旅路だった。彼はもう、自分の内側から世界を見ることができない。彼が目にするすべては外延的なものとして、まるで自己を遠ざけるものとして映るだけだった。 それでも、ホルスは自らを見失うことはなかった。彼の心の奥深くには、内包的な視点の残響がかすかに響いていた。彼は知っていた。「ウアジェトの目」を取り戻さなければならない、と。自らの内に隠された真の視点を取り戻すことで、父オシリスの遺した本当の世界を再び見ることができるのだと。 やがて、月の光が柔らかく彼の目を照らし、トートの神が現れた。知恵の神、時の神、そして再生の神としてのトートは、ホルスの目を癒すために時の命運としてやって来たのだ。トートは優しく微笑み、ホルスの目に触れながら言った。
「あなたが見ている世界は、ただ外にあるものではありません。あなたの目が奪われたのは、他者と交錯する場所に、あなた自身の内包的な視点が隠されてい流ことに気づけなかったからです。その視点を取り戻しなさい。そうすれば、あなたは世界を再び見通す力を得ることができます。」
トートがホルスの目を癒している間、ホルスは目を閉じ、ゆっくりと息を吸い込んだ。そして、目を開いたとき、彼は新しい光が自分の目に差し込んでくるのを感じた。かつての世界が外にあるものではなく、自分の内から広がってくる世界のように見えたのだ。彼の視界に映るものは、すべてが内なる霊光が放つ拡がりであり、もはや外なる空間はそこには存在しなかった。 ホルスの左目が戻ることで、彼は再び両眼で世界を見通すことができるようになった。その視界は、父オシリスに捧げられ、全エジプトに癒しと再生をもたらした。彼が目を取り戻したことは、内なる世界と外なる世界のバランスを取り戻したことを意味し、それによって失われていた世界の秩序が回復したのだ。
―――
ヌーソロジー的に見れば、このホルスの神話は、内包と外延の視点の転換に関する深い象徴を持っている。セトが奪ったのは、まさに自己の内包性と他者の内包性を結ぶ「左目」であり、その喪失によって、人間は外延的な物質世界の囚われ人となってしまったのである。しかし、トートがその目を癒すことによって、ホルスは再び内包的な世界の拡がりを取り戻し、内と外のバランスを再生させた。
この神話が示すのは、私たちが本来持っていた「全てを見通す目」を再び開き、自己と他者が互いの内包的な視点を取り戻し、そこで出会うことの重要性である。そして、その内なる出会いこそが、失われた知恵を取り戻し、世界の真の姿を再び見ることができる鍵となるものなのだ。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0
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ヌースコーポレーション
半田広宣(ハンダコウセン)
著書 「奥行きの子どもたち」「人類が神を見る日」「光の箱舟」他
7月 15 2025
ホルスの目—内包と外延の反転
その時、夜の静寂が大地を包み、砂漠の彼方に淡い月の光が揺らめいていた。ホルスは、父オシリスの仇であるセトと対峙していた。
二人の戦いは、まるで昼と夜がぶつかり合うような壮絶なものだった。両者の鋭利な視線が刃のように交差し、闇の中で一筋の火花が散った。そして、決定的な瞬間が訪れた。
セトは、ホルスの左目を奪った。彼が奪ったのは単なる肉の目ではない。ホルスの左目、すなわち「ウアジェトの目」は、すべてを見通す知恵の眼であり、ホルスが世界を内包的に捉える視点そのものだった。目を失った瞬間、ホルスの視界から霊光が奪われ、彼は暗闇の中に閉じ込められた。瞬く間に世界は彼から遠ざかり、ただ、そこには光の外の光だけが残された。
「お前はもう、見ることができないだろう」と、セトは笑った。「お前の内なる力は、すでに私が封じた。これからお前が見るのは、ただの外なる妄映の世界だ。すべてが外側にあるものとして認識される世界だ。」
ホルスの内包的な視点は、他者の視点によって歪められ、その結果、彼はまるで「すべてが外にある」かのように錯覚するようになった。まるで洞窟の中に囚われ、その奥に映し出される影を追いかけるように。だが、「ウアジェトの目」を失ったホルスには、その影が何を意味するのか、もはや理解することができなくなっていた。
ホルスは、母イシスが父の復活を願ってエジプト全土を旅したように、放浪に出た。奪われた左目は、他者の視点に導かれ、さまざまな場所をさまよいながらも、多くの外なる世界の知見を得た。しかし、それはホルスにとって苦しい旅路だった。彼はもう、自分の内側から世界を見ることができない。彼が目にするすべては外延的なものとして、まるで自己を遠ざけるものとして映るだけだった。
それでも、ホルスは自らを見失うことはなかった。彼の心の奥深くには、内包的な視点の残響がかすかに響いていた。彼は知っていた。「ウアジェトの目」を取り戻さなければならない、と。自らの内に隠された真の視点を取り戻すことで、父オシリスの遺した本当の世界を再び見ることができるのだと。
やがて、月の光が柔らかく彼の目を照らし、トートの神が現れた。知恵の神、時の神、そして再生の神としてのトートは、ホルスの目を癒すために時の命運としてやって来たのだ。トートは優しく微笑み、ホルスの目に触れながら言った。
「あなたが見ている世界は、ただ外にあるものではありません。あなたの目が奪われたのは、他者と交錯する場所に、あなた自身の内包的な視点が隠されてい流ことに気づけなかったからです。その視点を取り戻しなさい。そうすれば、あなたは世界を再び見通す力を得ることができます。」
トートがホルスの目を癒している間、ホルスは目を閉じ、ゆっくりと息を吸い込んだ。そして、目を開いたとき、彼は新しい光が自分の目に差し込んでくるのを感じた。かつての世界が外にあるものではなく、自分の内から広がってくる世界のように見えたのだ。彼の視界に映るものは、すべてが内なる霊光が放つ拡がりであり、もはや外なる空間はそこには存在しなかった。
ホルスの左目が戻ることで、彼は再び両眼で世界を見通すことができるようになった。その視界は、父オシリスに捧げられ、全エジプトに癒しと再生をもたらした。彼が目を取り戻したことは、内なる世界と外なる世界のバランスを取り戻したことを意味し、それによって失われていた世界の秩序が回復したのだ。
―――
ヌーソロジー的に見れば、このホルスの神話は、内包と外延の視点の転換に関する深い象徴を持っている。セトが奪ったのは、まさに自己の内包性と他者の内包性を結ぶ「左目」であり、その喪失によって、人間は外延的な物質世界の囚われ人となってしまったのである。しかし、トートがその目を癒すことによって、ホルスは再び内包的な世界の拡がりを取り戻し、内と外のバランスを再生させた。
この神話が示すのは、私たちが本来持っていた「全てを見通す目」を再び開き、自己と他者が互いの内包的な視点を取り戻し、そこで出会うことの重要性である。そして、その内なる出会いこそが、失われた知恵を取り戻し、世界の真の姿を再び見ることができる鍵となるものなのだ。
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