9月 22 2025
私たちは長いあいだ、「内観」という言葉の意味を、 感情の点検や思考の整理、あるいは心の静けさの中に見出そうとしてきました。 世界を外から閉じて、自分の内へと向かっていく──
それが、内観の本質だと信じてきたのです。 けれど、私たちはまだ気づいていませんでした。 私たちの「内」と「外」が、そもそもどうしてそう感じられるのかということに。 外とは何か? 内とは何か? その境界はどこにあるのか? そして、なぜ「私」という存在は、その中間に立ち上がってくるのか? ヌーソロジーが語りかけてくるのは、まさにその問いかけです。 そこでは「見る」という行為そのものが、 空間を生成する一つの運動として捉え直され、 主観と客観、内と外、自分と他人とが、構造として組み合わされている。 そしてこのとき、「物質」もまた、 私たちの外にあるものではなく、 自己と他者の空間が交差した、その一点に咲く結晶のようなものとして立ち現れます。 特に、素粒子──
それは宇宙の最小単位などではなく、 “視線の交差”が場を折り返したところに現れる、 空間そのものの内的なひだとして理解されていきます。 この新しい内観法では、私たちはもう、心の中だけを見ません。 私たちはむしろ、空間そのものを“見る”意識の立場に立ちます。 どのように空間が生まれ、 どのように内と外がねじれ、 そのねじれの中に「物」が立ち上がり、 それが誰かの視線を引き寄せ、「私」が反射されるのか──
そうした空間生成の映像的直観が、 思考の中に広がってきます。 それはまるで、宇宙の設計図が、 自分の奥底に逆照射されてくるような感覚です。 そして気づきます。 わたしは、世界の中にいるのではなく、 世界が、わたしの“内なる空間”として広がっていたのだと。 見るとは、存在の起源に触れること。 物質とは、自己と他者の視線が重なった場所に芽吹く、透明な意志。 空間とは、内と外の区別が溶け合い、“わたし”が時空とともに生成されている場所。
──これが、ヌーソロジーが示す「新しい内観法」です。 それは哲学でもなく、宗教でもなく、瞑想でもない。 存在そのものを、空間の反転として感じとる、未知の意識の技法。 そして、世界の“内”に立ち返るというよりは、 世界が“内なる生成”として目覚めるための、 新しい眼差しのかたちなのです。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: 素粒子
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ヌーソロジーサロン
ヌースコーポレーション
半田広宣(ハンダコウセン)
著書 「奥行きの子どもたち」「人類が神を見る日」「光の箱舟」他
9月 22 2025
新しい内観法
私たちは長いあいだ、「内観」という言葉の意味を、
感情の点検や思考の整理、あるいは心の静けさの中に見出そうとしてきました。
世界を外から閉じて、自分の内へと向かっていく──
それが、内観の本質だと信じてきたのです。
けれど、私たちはまだ気づいていませんでした。
私たちの「内」と「外」が、そもそもどうしてそう感じられるのかということに。
外とは何か?
内とは何か?
その境界はどこにあるのか?
そして、なぜ「私」という存在は、その中間に立ち上がってくるのか?
ヌーソロジーが語りかけてくるのは、まさにその問いかけです。
そこでは「見る」という行為そのものが、
空間を生成する一つの運動として捉え直され、
主観と客観、内と外、自分と他人とが、構造として組み合わされている。
そしてこのとき、「物質」もまた、
私たちの外にあるものではなく、
自己と他者の空間が交差した、その一点に咲く結晶のようなものとして立ち現れます。
特に、素粒子──
それは宇宙の最小単位などではなく、
“視線の交差”が場を折り返したところに現れる、
空間そのものの内的なひだとして理解されていきます。
この新しい内観法では、私たちはもう、心の中だけを見ません。
私たちはむしろ、空間そのものを“見る”意識の立場に立ちます。
どのように空間が生まれ、
どのように内と外がねじれ、
そのねじれの中に「物」が立ち上がり、
それが誰かの視線を引き寄せ、「私」が反射されるのか──
そうした空間生成の映像的直観が、
思考の中に広がってきます。
それはまるで、宇宙の設計図が、
自分の奥底に逆照射されてくるような感覚です。
そして気づきます。
わたしは、世界の中にいるのではなく、
世界が、わたしの“内なる空間”として広がっていたのだと。
見るとは、存在の起源に触れること。
物質とは、自己と他者の視線が重なった場所に芽吹く、透明な意志。
空間とは、内と外の区別が溶け合い、“わたし”が時空とともに生成されている場所。
──これが、ヌーソロジーが示す「新しい内観法」です。
それは哲学でもなく、宗教でもなく、瞑想でもない。
存在そのものを、空間の反転として感じとる、未知の意識の技法。
そして、世界の“内”に立ち返るというよりは、
世界が“内なる生成”として目覚めるための、
新しい眼差しのかたちなのです。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: 素粒子