存在の摂理

私たちが「世界を見ている」とき、実はその“見る”という行為自体が、すでに生成の方向性と時間の持続性を作り出し、他者の眼差しとの交差点で、物質という出来事を生成させている——まさに結び(産霊)だ。

それは外にあるのではなく、意識の中の、しかも最も深い根の部分で起きている現象だ。だからこそ、ヌーソロジーは言う。
世界は、外にあるのではない。自分と他者の交差の中で、互いの深みにある意識の共振が“世界”を創っているのだ、と。
「明しえぬ共同体」の謎もここにある。しかし、今はそれが裂け目としての”物質”になっている。視点が入れ替わっているからだ。

——一方では引き裂き、
——一方では結ぶ。

それが存在の摂理であるということを思い出そう。