ひな祭り

昨日の夜から、ほぼ24時間、自宅のベッドの上で静養中。
あー、よく寝た。やはり、かなり疲れが溜まっていたようだ。体が随分と軽くなっている。
昨日は分からなかったが、今日は、かなり咳が出ている。
おそらく、インフルエンザがらみの症状だったのかもしれない。
とにかく、明後日、また病院に行ってこよう。
こうして、何も考えず、ぼーっと過ごすのは久しぶりだ。
わたしの場合、何も考えない状態を続けることはかなり難しい。
それというのも、十数年にわたってOCOT文書との格闘生活が続いたために、
シリウス言語のナゾを解くこと、
つまり、ヌース理論のことを考えること自体がクセになってしまっているからだ。
おそらく、普通の人は気を抜くと、ぼーっ、と頭が空っぽの状態になるのだろうが、
わたしの場合、頭が自動的に動き出し、空間に様々な幾何学模様が現れ、
プサイ5だの、オメガ1だの、ヌースプログラムが自動的にカチャカチャと動き出す。
それこそ、何も考えない状態というのは、
何も考えられなくなる状態以外にはない。
つまり、こうした病気のとき以外はないのだ。
自慢してどうなる。
今日は3月3日。ということは、世間では、桃の節句、雛祭りの日だったんだな。
今時、ひな壇にお人形を飾ってお祝いする家庭って、どのくらいあるんだろうか。
人形だってべらぼうに高価だし、裕福な家以外は難しいのかな。
それにしても、日本人というのは本当に不思議な民族だ。
古来からの伝統や風習はあちこちで残ってはいるものの、
その意味や謂われを知ってる人たちってのはほとんど皆無に等しい。
ひな祭りだって、たぶんそうだろう。
かくゆうわたしだって、ヌースをやっていなければ、
ひな祭りに宇宙論的意味があるなんぞ想像もつかなかったろう。
ヒナとは普通、鳥の子供のことをいうが、昔は、鳥は太陽の女神アマテラスの使いと言われていた。
つまり、霊性のことだ。だから、ヒナとは霊の子供のことを指す。
要するに、お飾りする人形は人間を象ったものではなく、霊のヒナ型なんだな。
今はほとんどやってないのかもしれないが、
昔は、お雛様を祭壇に飾ったあと、それらを川や海に流す「雛流し」というという風習があったらしい。
これは、蛭子が葦舟に乗せられて常世にたどり着くことと同じ意味を持っていると何かの本で読んだことがある。
(確か、北沢方邦氏の著書だったか)。
つまり、ヒナとは人間のことであり、
「雛流し」とは、神のひな形としての人間を常世に送り返すことを象徴化した儀礼、とも解釈できる。
っつーことは、わたしたち自身が葦舟に乗ったヒナである、ということだ。
常世はまだ見えないが、こうして水の中を彷徨っているうちに、
いずれ、きっと常世にたどり着くのだろう。
ちなみに、「水」とはヌース理論では三次元空間に埋もれた表相の投影。。。。
表相が四次元に出れば、そこは常世ということになるのだが。。。。
ゴタクはやめて、
また、寝ます。