女の風景

昨日から寝っぱなし。体の節々が痛い。
胃痛は完全に落ち着いたが、カゼの症状がなかなか緩和しないようだ。
昔は2日ほど寝てればすぐに元気になったものなのだが、
最近はそうもいかない。寝過ぎて返って気分が悪くなる。
さすがに、昼すぎからは眠れない状態が続く。
布団の中でぼーっとしていると、
子供の頃、風邪で学校を休んだときに感じた、
あのエアポケットにいるような感覚が襲ってくる。
——世界の歯車から取り残されてポツンと布団に寝てる僕。
みんな僕のことを忘れてしまいはしないだろうか。
——今ごろは、みんな給食の時間だ。僕のパンは誰が届けてくれるのだろう。
幼いながらに、小さな自我の芽生えを感じる時間がそこにはあった。
大人になっても、こうした”時間を外した日”は必要だ。
春先のこの季節、
住宅街の午後の空気には、のんびりしている、とか、のどか、とかいう以前に、
何か世界があることの原点のような匂いが漂っている。
男たちは会社に出て、子供たちはみんな学校に行って、
いるのは主婦と幼児と老人だけ(なのだろう)。
それを想像するだけで、あたり一面の空気にミルクの匂いがしみ出してくるようだ。
世界の表舞台には決して上がってこないような、
もっとも時間が弛緩しているときの風景がそこにはある。
おそらく、その庭先でベニジュームの黄色い花びらが風に揺らいでいるのだろうが、
あまりに風がゆるやかなので、それを見てる者は誰もいない。
しかし、それでも、ベニジュームは揺れている。
そんな”非日常”の中に日頃の喧噪を忘れ去って、どっぷりと浸るのもまた快感だ。
トン、トン、トンと遠くで響く大工仕事の音。
午後の陽気と戯れるすずめのさえずり。
三軒どなりぐらいに住んでいる子供が吹くハーモニカの音。
ときおり上空を通過するジェット機の音。
まるで、ものだけが生きてるような世界。
僕はもう死んでるじゃないか。。
なんというパラダイス。。
いうなれば、女の風景がそこにはあるのだ。