20年ぶりの新宿2丁目

shinjuku
3日間の東京出張。今回は新宿のKプラザに宿を取った。新宿の街は久しぶりだ。仕事のスケジュールも今回は四件だけで余裕があったので、空き時間に新宿の散策を楽しむことにした。この街はわたしにとって人生のボトムラインを過ごしたところだ。それだけに貴重な思い出がたくさん詰まっている。新宿をアジトに活動していた26〜27才の約2年間はわたしの人生にとっては、まさに「地獄の季節」そのもの。過ごした場所は伊勢丹ウラの新宿2丁目。いわゆるオカマ街である。以前、このブログにも登場したエバシラという相棒がここに一人で自らを幽閉する生活を送っていた。わたしもその幽閉に付き合った。欲望で煮えたぎる街の中でいかにして欲望に打ち勝つか。二人ともそれだけをひたすら考え、音楽をやっていた。結果、精神状態はボロボロになり、こころは芯まで屈折しまくった。そうしたとことん破壊的な青春時代だった。今回は、ついついその当時が懐かしくなって、カメラを片手にフラフラと足を運んでみたというわけだ。あれから20年余り。新宿2丁目は何も変わってはいなかった。果たして、わたしの方は変わったのだろうか——。

〜ここから、ニューシネマパラダイスのテーマ音楽入る(笑)〜♪

maisionエバシラと地獄の20代後半を過ごしたマンションのファサード。当時と何ら変わることはない。ただ、当時、新築だったマンションの白いタイルがこころなしか黄ばんで見える。

okamaルー・リードやトム・ウェイツをウォーク・マンで聴きながら、夜な夜なうろついた通称オカマ通り。ホモ専門のアダルトショップや、女性専用のトルコなどが立ちならんでいた。あと、夜になるとホモ客相手のポン引きのオバサンがうじゃうじゃ徘徊していた。しかし、昼間の2丁目はご覧のように夜の怪しさが嘘のようにかき消される。これは水商売の女性を昼間に見たときの印象と似ている。そこには極めて素朴な下町風の匂いが漂っているのだ。そう言えば、ここで暮らしていた人々もみんなとても朴訥な人たちが多かった。オカマやホモセクシュアルに偏見が無くなったのもここで彼らの地を見ることができたからだ。ストレートな連中の方の性愛の方がはるかに歪んで濁っていると感じたのは、夜、新宿2丁目から歌舞伎町へと歩いてみたときだった。歌舞伎町に近づけば近づくほど欲望の臭気が強烈になっていく。エバシラはその臭気に当たって、よく吐いた。人間の悪意が放つ臭気には本当に敏感な奴だったのだ。

teishyoku目玉焼き定食がうまい定食屋。というか、目玉焼き定食はわたしたちにとって当時最大のごちそうだった。バイトで金がはいるとエバシラと二人でこの定食屋にいった。金がないときは、マンションの電磁調理器で作るキャベツで倍ぐらいに膨れ上がった日清焼きそば。もしくは、井村屋の肉まん1日3ケ。そうした食事が1週間ぐらいは平気で続く。タフだった。今なら3日と持たないだろう。

suehiro曲作りに行き詰まったときにたまに足を運んでいた末広亭。なんといっても早い時間に出演する若手落語家たちの凍り付いたような目が好きだった。全員が悲壮感にも近い緊張感を全身にみなぎらせ高座に上がっていた。客席からはほとんど笑いは起きない。しかし、彼らは話し続ける。見る方も精神をすり減らしていく。その感覚がたまらなかった。

kingキングスビスケット。ブルースハウスの老舗(新宿3丁目)。
新宿二丁目が別にボトムというわけではないが、わたしが人生のボトムラインをこの街で過ごしたことは偶然ではないかもしれない。ボトムなときにこそ、人間は人間を学ぶことができる。人間の冷たさも、暖かさも、自分の精神状態がボトムなときであればあるほど鋭敏に感じ取ることができるものだ。ヌース理論構築にここでの経験が役立ったのかどうかは未知数だが、一つだけ確かなことは、ここでの生活がなければわたしは狂気には陥らなかっただろうということ。真の正気は狂気を超えたところにしかやってこない。。。