モーターサイクル・ダイアリーズ

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 今年の初め頃、劇場公開されて話題になっていた作品だ。チェ・ゲバラの青春時代を描いた映画ということでDVDがリリースされたら見ようと思っていたが、ビデオ屋でレンタルされていたので即ゲット。早速、昨夜,鑑賞した。

 わたしがゲバラについて知っていたことと言えば、キューバ革命の指導者カストロの盟友だったということ。革命を成功させた後、自らは為政者の座にはつかず、そのまま他国の革命戦線へと向かったこと。CIAの手によって暗殺されたということ。ジョン・レノンのアイドルだったこと。そのくらいだった。彼がどういう生い立ちで、どういった青春時代を過ごしたのか。——スペインの植民地支配に虐げられた労働者の息子として生まれ、少年時代は生活苦と差別に苦しみ云々、というように、どう想像してみても、こういったお決まりのイマジネーションしか湧かなかった。

 映画がスタートして、のっけからわたしの想像は大きく裏切られる。ゲバラは何と医者を志す裕福な家庭のお坊ちゃんとして登場してきたのだ。そうしたお坊ちゃんゲバラが医大卒業を前にして、友人の生化学者グラナードと一緒にオンボロバイクでツーリングの旅に出る。まあ、日本でもよくある卒業旅行の類いだ。道中、ゲバラは旅日記をつけていくのだが、この映画はそのとき書かれた手記が原作となっている。旅日記と言っても、アルゼンチンのブエノスアイレスをスタート地点として南米大陸をグルリと一周し、最後はベネズエラに到着するまで総計約1万kmを超す一大ツーリングだ。時代も今から50年以上も前のこと。バイクの性能も悪いだろうし、もちろん高速道路などといったものも整備されていない(もっとも南米は今でもそうだろうが)。これは相当に過酷な旅だ。カメラはそうした二人の道中を淡々とした目線で追っていく。

 映画の前半は、タンパの大平原を駆け抜けながら、いかにもロードムービー然とした雰囲気で進行していくが、後半、チリに入ったところぐらいから一変してゲバラ自身の心情的な変化、成長へと主題がフォーカスされいく。そこから画面のトーン自体もガラリと変わり、アンデスの深い山々の神秘性も手伝ってか、ちょっとヘルツォークの作品を見てるような気分になった。

 効果的に使われる音楽。南米の大自然の風景。そして、古代アンデス文明の遺跡群。ハンセン氏病の治療所での日々。おそらく原作に沿って忠実に映像化されていったのだろう。後半に多少、感動的なエピソードは挟んであるものの、これといって大げさな演出もないし、見る者の感情をいたずら煽るような音楽の多用もない。しかし、映画がラストのエンディングへ入って行くときに、何とも言いようのない不思議な感動が襲ってきた。涙が止まらないのである。ネタバレにはなるが、それはアンデスの人々の「顔」の力によるものだ。これが人間の顔だと言えるような顔——。中南米の先住民系の人たちの顔貌には何か独特の霊気が漂っている。一言で表現するのはとても難しいが、生きとし生けるものすべての詩情がかたちとして現れたものとは、こうした「顔」のことを言うのではないか。そういう感情がどっと溢れてくるのだ。エンディングではこうした顔の数々が次々にフェイドインしてはフェイドアウトしていき、その最後にゲバラと一緒に旅をした、現在の年老いたグラナードの顔が大写しにされる。………ん〜、たまらんよ、この編集。

 ——この作品の中でゲバラは終始、純真で生真面目な一青年として描かれている。たぶんそれは真実なのだろう。いつの時代でもそうだが、革命の動機にあるのは、宗教的イデオロギーでも高尚な哲学でもない。世界を赤ん坊に戻すことを夢見る純真な子供の心だ。その意味で革命の欲望は寓話的な力である。それは少年の夢、少女の夢と言い換えてもいい。戦争ごっこか花摘みごっこか。おもちゃの鉄砲を取るか、野バラを摘むか。この二つは必ずセットで動く。いずれにせよ、少年と少女の性転換が必要である。60年代後半のあの有名なシンボルを思い出そう。人に突きつける銃口を、花を迎え入れる一輪挿しの鉄筒に変えること——それ以外に革命の成就はない。