「と」哲学を晒すスレ

久々に「ヌース理論」でgoogleの検索をかけたら、2チャンネルで「と」哲学を晒すスレというものにぶち当たった。
「と」哲学を晒すスレ——http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/philo/1147710796/l50

 ここにある「と」とは当然、トンデモの略なのだが、どうもヌース理論が「と」哲学の筆頭に上げられているようだ。これにはびっくり。自分ではヌースはジャンルとして、まだまだ精神世界の域を突破していないだろうと踏んでいただけに、おっ、こんなところにまで……と、嬉しいやら悲しいやら、複雑な心境である。しかし、ヌースはどこに行ってもトンデモなんだなぁ(^^)。それにしても哲学にまで「と」があるとは。これは初耳。

 以前、ト学会のトンデモ科学のジャンルでもたたかれていたので、これでヌース理論はトンデモ科学とトンデモ哲学の二階級を制覇したことになる。ん?制覇じゃないな。今のところランクイン、というところか。醜いアヒルの子も万に一つは美しい白鳥に生ま変わる可能性だってあるかも。ヌースはただのゴミ理論に見えるかもしれないが、一度ハマるとなかなか抜け出られないよ。まっ、先は長い。シコシコと頑張るしかないな。

 とは言うものの、改めて書き込みを読んでみると、お行儀よくやるべきかな、とついつい思ってしまうのもこれ人間の習性。う〜ん、しかし、やっぱり無理なんだよな。ヌースの魅力は一つにこの超トンデモ度にあるからね。ケタ違いのトンデモ度。僕が最初OCOT情報に惹かれたのもそこだった。「そんなアホな。あり得ない。。」それがすべての始まりだったわけだから、この原点を消してしまうと強度がガタ落ちしてしまう。それに、僕の出自は存野であるから、胡散臭がられるチャネリングという体験を含めて、自分が経験している思考の状況を、自分の人生を通して真っ正直に語るしかない。それだって一つの哲学である。もちろん、アカデミックな文献の言葉を通して語ることも心がけようとしてはいるが、これはこれで一つの芸。そう簡単にマスターできるものじゃない。第一、専門家と違って、そんなに本を呼んでいる暇がない。会社を経営して、社員の給料のことを考え、広告をデザインし、新製品を企画する。毎年の決算時には経営者という立場上、とりあえずは赤字の心配もしなくちゃならない。そういう日常なのだ。健康食品を作っている会社のおっさんがハイパーな哲学理論を構築する。このスタイルは自分でも結構、気に入っている。しかし、世の中の目はそうはいかないんだな。

 以前、ある有名なミュージシャンの勧誘で中沢新一さんとの対談の企画が持ち上がったことがあった。しかし、プロデューサーの方が僕の経歴を見て、「なんで中沢がこんな怪しい健食メーカーの社長と対談しなければならないんだ」と言って、その企画はボツになった。敬愛している中沢氏と直接会えるということで楽しみにしていたのだが、世の中とはそんなものだ。肩書きが意味がないとまでは言わないが、肩書や実績がない者は、常にどこかの馬の骨扱いにされてしまう。まぁ、事実だから仕方ないが、そういう価値観だからこそ、みんな不幸になるんだな。

 とにかく、ヌース系とかヌース派などといった形容が「と」の代名詞とならないように、今後も精進していくしかないな。まあ、時間がかかるだろうけど(^^)。