ヌースの貨幣論

貨幣

掲示板の方で、goemonさんという方から「ヌース理論がお金や経済の意味をどう見ているか」という質問が寄せられた。ヌース理論が貨幣や資本主義について語るのは大分先の話になると思う。というのも、無意識の構造をある程度、幾何学的に説明した上でないと、何を語っているのかチンプンカンプンになってしまう恐れがあるからだ。とはいうものの、この問題は極めて大事な問題なので、goemonさんには、ヌース用語は一切なしで、その概要を簡単にレスしておいた。ここのところ観察子の話ばかりで頭が気持ち悪くなっている人は、気分転換に読んでみて下さい。こちらに転載しておきます。
 
 
goemonさん、こんにちは。
貨幣論ですか。。ヌースとしても、とても興味ある問題です。貨幣の位置づけを意識構造の中に見るには、ヌース理論的には次元観察子ψ11~ψ12における構造変動を事細かに分析する必要性があります。観察子で話すと例によってチンプンカンプンになってしまうでしょうから、大ざっぱなイメージで話すとおおよそ次のような感じですかね。ちょっと長くなるかもしれません。

 経済は人間の欲望を原動力としていますよね。意識に内在しているこの「欲望」という力は、ヌース的に言えば「等化」の一形態と考えられます。アイツがアレを持っている。だからオレも欲しい。社会でアレは常識になっている。だからオレもアレにならなきゃいけない、etc。しかし、一度等化が起こると、精神は中和というプラマイゼロの状態を作り出し欲望を初期化してきます。あんなに輝いて見えていたものが一度手にしまった途端、一気に色褪せてしまうという経験は誰にでもありますね。しかし、そこでまた「負荷」が起こる。新たな対称性の破れです。欲望は新たな等化すべき対象を対化として見出し、それらを所有し、それらと同一化したい衝動に駆られ、性懲りもない等化の反復を繰り返す。。こうして、モノでもイメージでも、テクストでも、解釈でも、意味でも何でもよいのですが、欲望によって差異が無限に増殖していくことになります。生産です。企業が躍起になって商品の差別化や区別化を叫ぶのも、こうした差異の再生産が収益に大きく寄与するからにほかなりません。経済活動はこうした差異の再生産を前提として成立しているわけです。

 現代人にとって、所有とはアイデンティティーの一端を担っている行為でもありますね。モノにせよ、イメージにせよ、言葉にせよ、それが所有されるところには必ずアイデンティティーが生まれる。文化と言い換えてもいい。現代人にとって所有や消費は一種の自己確認の作業であり、主体性を保持するための不可欠な行為となっています。しかし、そこにどんな主体性があるのかというと、差異は飽きたらまた別の差異にすり替えられていくだけですから、結局は主体の場所は空虚な空隙でしかない。所有力で人間の価値が決まるはずもないのに、なぜか多くを所有する者は力をも有しているようかの錯覚に陥る。モノに富める者、言葉に富める者、イメージに富める者、意味に富める者。どれも所有を力としている意味では似たり寄ったりで、それは権力としてしか働かない。そして、こうした一連の所有行為の保証人となっているのが貨幣なわけです。貨幣はモノにも言葉にもイメージにも意味にも容易に化けることができる。トランプで言えばジョーカーですね。つまり、オールマイティ。

 となれば、主体が自己確認するために貨幣以上に重要なものはないということになってしまう。その意味で貨幣は現代人にアイデンティティーを付与する霊力そのものと言っていい。つまりコギトの本質力のようなものでしょうか。実際、経済活動において何が交換されようと、それがアイデンティティーを保持、強化するようにしか働かないならば、コギトはその空虚な空隙に居続けるしかなくなる。経済活動を活発化すればするほど人は孤独になっていくわけです。皮肉な言い方をすれば、すべてのコミュニケーションは自我の強化のためにしか働いていないということですね。根底には他者と一つになりたいという欲望が働いているのだけれども、この欲望が結局のところ、所有物の交換という裏返しの情念となって現れ、いつまでたってもグルグルと差異の増殖の中で実りの無い交換活動を続けて行く。。。それが人間の営んでいる経済という生き物の本質のような気がします。

 いずれ、ヌースではこうした欲望の機構を幾何学的に事細かに説明していくことになると思いますが、ヌース全体の文脈から言えば、この機構はいつまでもこの実りのない反復運動を続けるようにはできてはいません。やがて本当の経済をもたらす機構に反転します。この転倒した機構が反転さえすれば、人間の欲望は純化し、今度は主体自体の交換という本来の経済活動に変わっていくはずです。今度は人間がモノを交換するのではなく、モノが人間を交換していく回路が開いてくるわけです。ヌース理論の構築はその準備活動です。