ヌースレクチャー2010 IN 福岡 第8回

 久々のブログ。最近は次から次へとやらなくてはいけないことが増えて、ゆっくりブログ記事を書く暇もない。この年になると残り何年生きられるかを不覚にも考え出す。まぁ日本人男性の平均寿命を約80歳と見てもあと27年。ヌーソロジーに携わって23年ほどだから、ほぼ半分の時間は使い切ったことになる。人生の半分を使ってたったこれだけのことしかできないのか思うと焦燥感も生まれてくるが、やりたいことをやれている人生を送れているのだから神様にありがとうと言わなくてはならないし、と同時に身の回りでヌーソロジーの活動を支えてくれている皆んなにも感謝しなくちゃいけない。アリガトね!!

 さて、次回のヌースレクチャー IN 福岡は早いもので開始からもう第8回目を迎える。第7回終了時点でどうにかヌーソロジーの理論展開のプラットフォームとなる「元止揚空間」までは解説を終えた。まだまだ説明不足の感はあるが、ヌーソロジーの全体像を12回のシリーズでまとめるにはこのへんが限界だな。次回からはいよいよこの元止揚空間の概念をベースにして人間の無意識構造について解説を進めていくことになるのだが、これが今まで以上に厄介な作業となるのは必至。すでに、どげんしよう……と戦々恐々としている次第だ(笑)。

 ヌーソロジーは物質と精神の統合を具体的に標榜していく思考体系だが、そのポイントは極めてシンプルなものだ。物質と精神は空間に潜む回転の機構によって接合しており、 この回転は僕らの意識を根底で支えている観念(ノエシス=観ること)の複合的なシステムの時間における表現となっているということだ(無時間においては純然とした幾何学構造体)。そして、ここで生じている回転の多重な構成がそのまま素粒子世界の対称性構造となって物理学によって記述されているものではないかと予想している。
 では、なぜ、世界は回る必要があるのか——それは自己存在と他者存在という永遠の二極を結び合わせようとする精神の絶えることのない欲動から、としか言いようがない。物質はその本来が倫理的なものなのである。ヌーソロジーは物質に対するそのような感受性を想起するための作業だと考えていい。

 さてさて、第8回目のテーマは「思形と感性」。この思形と感性においていよいよ人間の意識が活動を開始する。果たしてうまく説明できるかどうか——がんばるみぃ〜。

Vol8_2