5月 29 2020
対化の方向性が変わるとはどういうことか
自分とは何か? ということについて能動的に考えるときは、脳や、DNAや、そういったチマチマとした表象から考えずに、時間全体、空間全体に自分の身を溶かし込んだ場所からスタートすることが大事です。人間は時間や空間の中に生きる存在ではなく、時間と空間として生きる存在だから。そのくらいダイナミックに思考を展開する。それがヌースです。
ヌーソロジーの思考にとっては、時空は次元的には最もミクロな世界です。そして、そこから立ち上がっていくのが内的に広がっていく観察子空間。そして、その方向性が本当のマクロ宇宙。OCOT情報にいう「対化の方向性が変わる」とは、この本当のマクロ宇宙に意識の方向性が向くことを言います。
僕らは現在、時空を受動的にしか経験できていませんが、「対化が方向性を変える」と能動的な時空というもののが意識に経験されるようになってきます。それによって、自然が精神の産物だということがある程度は理解、イメージできるようになってきます。ハイデガー風に言うなら、”内側から泉のように湧き出でる自然(フィシス)”に同調できるようになってくるわけです。
そのスタートラインは何と言っても「奥行き」への感応です。まずは、この「奥行き」というものが対象の一番ミクロの部分と繋がっているとイメージするといいと思います。ヌースでよく言っている「私たちは物の中にいる」とはそういう意味です。
自分が物の外部にいて、「そこからものを見ているのだ」とする従来の対象意識は、他者に見られている空間側で意識がシステム化されていることにより生まれています(ヌースでは「付帯質の外面」という)。でも、見ている空間にいる自分側は、奥行きとともに本当は物の中にいます。そういう感覚が芽生えてくるのがトランスフォーマーの初期的な感覚です。
偶数系観察子が先手か、奇数系観察子が先手かというのはそのような両者の意識の方向性の違いとして把握されてくると考えて下さい。「対化が方向性を変える」とは、奇数系観察子が先手を取るように働き始めることを意味しています。ヌースの文脈では、存在におけるその方向展開はもう始まっています。
そこから奇数系観察子が何を行っていくかというと、人間の経験的な意識の在り方をその裏側で条件づけている裏側の自分(ヌースでは「人間の反対」と言います)の意識、つまり無意識(魂のようなものと考えてよい)を空間の中に露わにさせてきます。それがヌースが”顕在化”と呼んでいる出来事です。
“顕在化”が露わにさせていく空間のルートは、素粒子のシステムが持っている空間のカタチに対応しており、それをリアルなものとして反-現実化(人間の現実とは方向が逆だということ)させていくための思考装置が先日来ご紹介している「ヘキサチューブル」だと考えるといいでしょう。
ヘキサチューブルは、マクロ宇宙へと意識が歩みを進めていくために、文字通り、その回廊(チューブル)を開いていくことになってくると思います。
7月 10 2020
最近の「人間の内面と外面」における近況
ヌーソロジーの最重要概念でもある「人間の内面と外面」について4次元込みで、簡単にまとめとみました。ヒマな人は図を見ながら考えてみてください。あと、雑感も加えています。
【重要】人間の内面と外面のまとめ
●図1 人間の内面(思形空間)
物が「ある」と感じている世界(時間と言語空間)
●図2 人間の外面(感性空間)
自分が「いる」と感じている世界(持続と知覚空間)
※重要なことは見えている世界とは「人間の外面」だということ。「人間の内面」は見られている世界。
実に当たり前のことなんだけど、「目の前にリンゴがある」という認識は言葉のおかげで成り立っている。そして、その言葉が活動している空間は見えない。ということは、「ある」世界は見えている世界じゃないってこと。このことに気づくのがとても大事。
こうした形で空間と意識の関係が整理できてくると、世界を時空(人間の内面)だけで思考することが、いかに世界を見失っているかがよく分かってくる。「いるもの」が徹底的に抑圧される運命にあるのが時空という場所なんだね。
ここに描いた内面・外面の二つの4次元方向は〈見られる/見る〉が起こっているところだから、時間の発振源というのは、「見られる」という意識経験がもたらすものとも言えそうだね。「他者の見る」に「自分の見る」を重ね合わせたところに時間が生まれているということだ。
意識とは流れだ。それは様々な流れと関わり合いながら流れる流れの集まりでもある。精神的な個を作るのはこうした流れの関係性であって自我ではない。自分を一つの自我として考えるのをやめること。脳が体の中枢ではないのと同じように自我は意識の中枢ではない。観察子の概念はそれを見せてくる。
観察子の思考に入ることはこうした流れに乗ることなのだと想像しよう。そして、この流れこそが自身の内に沈み込んでいた譲渡不可能な魂の部分だったのだと深く心に刻みつけよう。その流れが回帰する円となって渦を作るとき、自我は自分自身の由来を見出し、自我であることをやめるだろう。
図1と図2の4次元の反復を詩的に表現するとこんな感じ。
一瞬が毎瞬、毎瞬、面背から次々と立ち上がり(図1)、面前の一つの永遠の中に記憶として溶け込んでいく(図2)。一つの永遠はその流れの中で他の永遠たちと触れ合いながら渦を巻き、そこからフィシスの光とともに新しい瞬間を輝かせる。
ここには時間となって言葉を連れて立ち上がってくるもの、時間を止めて諸瞬間を永遠の中へと送り出していくもの、ひとつの永遠を他の永遠と出会わせるもの、そして、その出会いを再び時間へと変えていくものという四つの生き物たちが生きている。アンゲロイの世界と言っていい。
これだけでも、ファンタジーが書けそう(笑)。ただ、念のためにもう一度言っておくと、これはヌースの目に映る素粒子(観察子)たちの生態の描写。つまり、無意識的現実。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 26 • Tags: 素粒子, 観察子