10月 3 2018
元止揚(げんしよう)という概念について
今回は「元止揚」という概念について。
「止揚」には、もともと「二つの対立する方向の力を統合する」という意味がある。だから「人間の元止揚」という表現には、「人間の意識活動の元となるために対立しあう精神の統合化として生まれてきたもの」といった意味合いが含まれている。
人間の意識において、この元止揚は物質として出現しているものすべてに当たると考えていい。つまり、物質世界とは、人間の意識を活動させるために高次の精神の対化が止揚されて生み出されているものだということだ。それが人間の存在の母胎(元)となり、そこから人間の意識活動が開始されていると、とりあえずは考えよう。
その意味で、高次の精神の全体側から見るなら、人間の意識活動とは自分たちの活動の最先端に位置するものであり、そのような場所をヌーソロジーでは「総体の内面」の方向と呼んでいる。「内面」とは進化の方向を指す。一方、人間の意識に見える物質世界は高次の精神全体からは「総体の外面」に当たる。
これは、総体の外面は、真実の意識(精神の全体性が持つ意識)にとっては自分たちの精神の履歴のようなものに見えていることを意味している。
精神進化の最先端は、物質として人間の肉体に集約されているので、総体の外面に見える精神の総体性が他者身体。総体の内面に方向づけられているのが自己身体ということになる。
自己身体のみが奥行き(持続)を持つように現象化しているのも、そのような理由によると考えるといい。また、総体の精神は人間の純粋持続の中にその姿を現していると言ってもいい。
もちろん、他者サイドにおいては、この関係は逆転している。つまり、総体自体も内面と外面をキアスムとして持っているということだ。
さて、ここからは物理学と関連することだが、総体の内面と外面の差異は物質の質量として現われる。つまり、質量とは総体の外面から総体の内面を形作るまでの精神の力が生み出している力に由来しているということだ。一方、エネルギーとは、その力を人間が人間の内面方向に融解させているものと考えていい。人間の内面は総体の外面方向に当たる。つまり、人間の内面の意識は、精神によって作り出された質量を逆方向に反転させる方向を持っていることになる。このとき生まれているのがエネルギーと呼ばれている物だと考えるといい。
この関係を、かの有名なアインシュタインのエネルギーと質量の等価式E=mc^2で見るなら、次のようになる。
c=i(光速度=虚数単位)と置けば(この置き換えはあくまでも比喩です)、E=mc^2とは、E=-m。その意味で、OCOT情報は、c^2(光速度の二乗)のことを「融解質」とも呼んでいる。この「i × i =-1」は、わたしたちが時間と呼んでいるものの本質と考えていい。つまり、時間とは精神が溶けていってる状態なのだ。その融解物としてエネルギーが発生している。
つまり、E=mc^2の本質的な意味とは、スピノザのいう所産的自然と能産的自然の関係が最もシンプルに象徴化されたものだということ。能産的自然が質量を作り、所産的自然がそれをエネルギーとして消費する。
質量を生み出すためには付帯質を精神へと変換していくことが必要だ。その意味で、OCOT情報は「質量とは変換の形質」とも言っている。これは、精神の力を構成するものが幾何学的な純粋思考の力であることを意味している。すなわち、それが「カタチ」だ。もちろん、このカタチは時空上の形ではなく持続空間上のカタチのことだ。
そして、この「変換の形質」による生成物である持続空間上のカタチに「プラトン立体」というものが深く関わっている。人間の元止揚部分を形質化させたものがヌーソロジーが「ヘキサチューブル」(下図)と呼んでいるものだと考えるといい。これは、総体の外面から内面方向に向けられた「負荷」のカタチであり、このカタチの認識によって総体の内面が開かれていく。
10月 9 2018
ヌーソロジーにおける正四面体の意味合いについて
今回は少しだけカタチの話。
ヌーソロジーがカタチと呼ぶものはイデアとしてのプラトン立体のことを指している。
プラトン立体を綿棒やボール紙で作ったことがある人たちも多いことだろう。そこには息を呑むような美しい幾何学的秩序がたくさん隠されている。もちろん、こうした秩序を数的比率などを通して感じ取ることも大事だが、ヌーソロジーの視点からすれば、プラトン立体はわたしたちの意識の成り立ちそのものの秘密をも隠し持っている。どういうことか―。
ヌーソロジーではプラトン立体を高次元の空間的秩序が延長性の中で表現されたものだと考える。高次なのだから、つまり、その本質は不可視の持続空間の中にあるということだ。
プラトン立体の基本は正四面体だが、正四面体は持続空間の最もベーシックな次元を構成している。わたしたちの延長認識(3次元意識)においては、これは4次元空間と呼ばれているもののカタチに他ならない。正四面体は4次元のカタチなのだ。
持続空間における幾何学は決して対象ではない。その中に観測者自身が含まれて始めて意味を持つものだ。その意味で、観測者自身自らの実存に帰る位置は4次元にあり、その位置が見えてこそ、初めて正四面体という形態の正しい理解に至ることができる。
4次元は3次元空間自体を観察しているものの位置の方向として開かれる。3次元人間が、2次元の円の内部と外部をいとも容易く出入りできるのと同じように、4次元人間にとっては球面で遮蔽された3次元の内部と外部を自由に出入りできる。こうした4次元方向の自由度を持って活動してるのが、いつも話している「奥行き」のことだと考えるといい。
ヌーソロジーにとって奥行きは持続空間そのものなので、持続空間として成立している「わたしの実存」は、本当は物の内部にいるということだ。そして、それが素粒子の世界と繋がっている。
結論から話しておこう。正四面体とは時空のイデアである。
正四面体の頂点の位置を観察位置と考えるといい。観測者がそこから世界を見ているにもかかわらず、その4次元方向の位置が見えず、3次元(x,y,z)と同一化している状態が正四面体の頂点から他の三つの頂点へ引かれている稜線の意味(中和)だ。
当然、その逆方向が等化に当たる。これは、無限遠点が観察の位置だということを知るということ。それによって、眼差し自体(奥行き)の方向が「人間の外面」として覚醒を起こし、時間軸は方向を反転させ、第四の空間次元(これが持続空間だ)として物の内部に入り込むことになる。
こうした中和状態における正四面体のことをOCOT情報は「止核精神(シカクセイシン)」と呼んでいる。そして、観察位置が無限遠点だと知り、等化が見出されることを「核散(カクサン)」と呼び、この「核散」が3次元意識(表象意識=人間型ゲシュタルト)の解体の契機となり、人間の意識に高次元知覚が発現してくるというシナリオになっている。
持続空間の概念によって裏づけされたこのような正四面体が正六面体、正八面体、ベクトル平衡体、菱形12面体、正十二面体、正二十面体というように発展していく幾何学領域というものが存在している。それがヌーソロジーが「次元」と呼ぶものであり、この「次元」が人間の無意識構造(アプリオリ)をフレーミングしており、わたしたち人間の自我意識を構成する元になっている。
悲しいかな、現在の人間の経験的意識においては、こうした持続空間のカタチは中和状態である客観的時空(幅認識支配の延長空間)のもとにすべて融解している。意識が物質的な同一性の中に幽閉され、奥行きが形作っている精神空間が何一つ見えなくなっているわけだ。
この失われたカタチに対する視力を取り戻すことが、ヌーソロジーの一つの目標でもある。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報, プラトン立体, 人間型ゲシュタルト, 素粒子