主観から客観を構成できたとき、 初めて宇宙は 「わたしたち」と呼べるようになる

ヌーソロジーの考え方だと物質は時空に対して直立していく方向に空間自身を織り重ねながら層をなして生成されていくのだが、その土台を担っているのが持続空間を集約させている一本の線分のよう存在で、物理学ではスピノルという数学的オブジェクトととして表現される。

このスピノル、物理学の世界だけても、ユークリッドスピノルとか、ワイルスピノル、ディラックスピノルというように種類があって、それぞれの観察子への対応がまだまだはっきりしていない。ヌーソロジー仲間のΦさんが昔からツッコミを入れてくるのもこの部分だ(笑)

おそらくヌーソロジーのいう「人間の元止揚(Ψ1〜8)」まではユークリッドスピノルで事足りる。しかし、Ψ9以上の領域になると、そこで時間が生成してくるために存在が外に開く。そこでスピノルがワイルスピノルやディラックスピノルに変化するのだろう。物理学的に言えば相対論的場となるということ。

イメージとしては、一つの物の周りに無数の観測者の位置が生まれ、そこに生じている視線の変換がワイルスピノル臭い。Ψ9〜10とΨ*3〜4が重畳する領域だ。ワイルスピノルは質量が0の光子やグルーオンのスピン1の角運動量に対応している。Ψ*9〜10とΨ3〜4の重畳を考慮すれば、ワイルスピノルのイメージだ。

一つの物の周りに無数の観測者の位置が生まれ、そこに生じている視線の変換は、時空上ではローレンツ変換と呼ばれている変換に対応している。ざっくり言えば、私たちの外的な客観性を担保している構造を作ってる空間構造と言っていいい

ローレンツ変換を群で表現するとSO(3)×R^3。一つの物がS0(3)で、その周囲の空間をR^3と考えれば、「一つの物の周りに無数の観測者の位置が生まれ、そこに生じている視線の変換」というイメージとピッタリと重なり合うことがわかるはずだ(下図参照)。

こうした空間構成の言わば平方根のようなものにあたるのが、ワイルスピノルやディラックスピノルの変換場となるSL(2,C)という群になる。SU(2)に4次元性を与えたものと言っていい。SU(2)はSO(3)のダブルカバー(二重被覆)だが、SL(2,C)の方はSO(1,3)のダブルカバーとなる。
あくまでも比喩としてだけど、スピノルを3次元ベクトルの平方根のようなものとして考えるなら、ワイルスピノルやディラックスピノルは時空ベクトルの平方根のようなものに相当しているということだ。ヌーソロジーの文脈からすれば、自己と他者の主観空間に客観のそれらを振り分けたものにすぎない。

いずれにしろ、Ψ9〜10以降の観察子の物理学との対応は一気に複雑さを増す。それもこれも、空間構造の重畳がさまざまな組み合わせを要請してくるからだ。Ψ11〜12までの構造を物理学と正確に対応させていくためには、まだまだ時間がかかりそうだ。OCOTのいう通り、あと2年ぐらいはかかるのだろう。

今、私たちが経験している時空を自己と他者固有の空間へと分離させたものが素粒子空間であるということの意味がかなり皆さんにもイメージできてきたのではないか。そのそれぞれの固有の空間、当然これは持続空間になるのだが、その中で私たちの意識は自己意識として構造化されているのである。

まだ「客観が主観に従属する」というカントが発想した超越論哲学の不文律を現代哲学の思考はまだ完全に遂行できていない。20世紀になってフッサールの現象学やハイデガーの存在論がそれに挑んだが、まだ道半ばだ。存在の根底からそれを決行していくこと。それがヌーソロジーの試みなのだろうと思う。
主観から客観を構成できたとき、 初めて宇宙は 「わたしたち」と呼べるようになる。

客観の形成としてのローレンツ変換