10月 9 2025
「位置」
「人間には位置が生まれていない」
それがOCOTの口癖だった。
位置………位置って何だ?
それを考えるだけで1年は費やした。
答えは単純なところにあった。
見ること——それが「位置」の異名だった。
よくよく考えてみれば、
いつからか、「見る」ということが、
世界の内部に閉じ込められていた。
観測者である私が、観測される側へと
いつの間にか、すり替わっていたのだ。
けれど——幼い記憶の中で、たしかに覚えている。
“見よ”という呼びかけが、外からではなく、
内側の内側から響いていたことを。
その声が起こるとき、空間はまだ空間ではなく、
時間はまだ流れてはいなかった。
それは、ただ、方向を持たない感受の源だった。
そこに、私はいた。見るよりも前に、
「見るという出来事」が私を生み出していた。
だから今、私はこうして問いかける。
「私は、どこから見ていたのか?」
——その問いを思い出すとき、世界はもう一度、私の内に還ってくる。
時空の向こうから、観察の秩序がそっと、私の素性について囁いてくる。
それが腑に落ちたとき、 観測者の位置の回復が産声を上げる。
⚫︎「位置」が生まれると………
位置が生まれると、自己と他者が「人間」という枠から離脱する。
ここで「人間」と呼んでいるのは、生物学的人間、つまり、人間という種で一括りにされた、差異なき自他という意味だ。この視点が、人間の可能性を封じ込めている。
考えてみよう。
私たちが普段「私が世界を見ている」と思っているとき、
実はすでに「他者の目線から自分が何を見ているか」を無意識に演じている。
つまり——見ているようで、見られている自己として振る舞っているということだ。
この無自覚な意識的転落が、「世界=客観的にそこにあるもの」という思い込みを生み出している。
つまり、問題の本質は、「他者視点で世界を見る」ということが当たり前の感覚になっていて、人々が“世界を見る自己”ではなく、“世界から見られている自己”に無自覚なまま生きていることにある。
⚫︎物質の秘密
この無自覚な転落的反転が、「世界=客観的にそこにあるもの」という思い込みを生み出しているということだ。では、自己視点が奪回されると何が見えてくるのか——
物質の秘密がわかる。
つまり、私たちが普段「物がある」と思っているその“物質”とは、実は、他者視点化された自己の前に浮かび上がってきた、自己視点の世界だということた。
存在自体が自分を見るために、他者視点化し、そこに生まれてきたのものが、物質的世界と人間だということ。その詳細を、素粒子レベルから懇切丁寧に説明を与えて行こうとしているのが、ヌーソロジーだと思って欲しい。
というか、素粒子が自己視点の始まりの世界なので、これは、存在からの必然的な要請でもある。
10月 10 2025
「引き寄せ」から「位置」へ
最近、ヌーソロジーを「引き寄せの法則」みたいなものだと誤解している人が少なくないようだ。
たしかに、意識と現実の関係を扱っているという点では似て見えるのかもしれない。
けれど、本質はまったく違う。
引き寄せは、自分の思考や感情に力があると信じて、
「こうなりたい」と願うことで、現実を変えようとする。
でもここで言う“自分”とは、
すでにこの時空の中に“いる”ことを前提とした「自己」だ。
つまり、「他者の視点で見た自分」——
社会や環境や時代が要請する「自分」という枠組みの中で、
もっとよくなりたい、もっと理想に近づきたい、と頑張っている。
ヌーソロジーは、この“頑張っている自分”に向かって、こう言う。
「いや、その“自分”は、そもそも本当の“私”ではないんじゃないか?」
ヌーソロジーが問うているのは、
「願いが叶うか」ではなく、
「私はどこから“見る”ことを始めていたのか?」という根源的な問いだ。
見るということは、ただ目で見ていることじゃない。
世界に対して、自分の“位置”が立ち上がるということだ。
その位置は、地図上の座標のことではない。
それは、「見る」という出来事が起こるために生まれてくる視点のこと。
世界が「そこにある」と思える以前に、
すでにその世界を“見てしまっている”私の根っこがある。
ヌーソロジーは、この“見るという出来事”の前面に出ることで、自分を、そして世界そのものを組み替えていこうとする試みだ。
だから、引き寄せとは真逆の方向を向いている。
引き寄せは、「世界の中の自己」を強化しようとする。
ヌーソロジーは、「世界の中の自己」から出て行こうとする。
そこに現れるのが、「位置」という概念だ。
それは、自分が“世界を見る自己”に戻るための通路。
他者の視線からつくられた“見られる自己”ではなく、
“見るという原点に立つ私”としての回復。
ヌーソロジーは、願望を叶える魔法ではない。
それは、“私という視点がどこから始まっていたのか”を取り戻すための、真の自己を引き寄せる構造哲学だ。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: 引き寄せ