10月 20 2025
二つの記憶 —ψ5とψ6の対話—
ひとつの響きが、
静かに、世界を満たしている。
それは言葉になる前の記憶、
名もなき光のように、
「今、ここ」にすべてを抱いている。
——それが、ψ5の記憶。
時は、まだ流れていない。
過去も未来もなく、
ただ、佇むことがすべてだった。
沈黙の中で、無限がひとつに結ばれていた。
けれど——
その響きは、やがてほころび、
旋律となって流れはじめる。
あの日の声、あの瞬間の笑い、
それらは順に並び、
出来事として形を取り始める。
——それが、ψ6の記憶。
時は今、動き出した。
「思い出す」ことは、「分かつ」こと。
ひとつだった永遠を、
少しずつ言葉にしていく旅。
ψ5が、魂の奥に眠る自己なら、
ψ6は、それを解きほぐして語る自我の物語。
けれど、どちらも記憶。
ひとつの心がもつ、二つのアスペクト。
響きとしての記憶と、
流れとしての記憶。
静寂に潜む真理と、
語られる時間の詩。
それらは交わり、
私たちの「今」を編んでいる。




10月 22 2025
ψ6/Ψ5と記憶の関係
⚫︎ψ5の記憶:持続の核における「非時間的な記憶」
ψ5の記憶は、時間の中を移動していくような記憶ではありません。むしろ、「今この瞬間」に全体が“濃縮”されているような、一挙的・凝縮的な記憶です。
例えば、ある懐かしい場所に行ったとき、なぜか“過去すべてが一気によみがえる”ような経験。
ある曲を聞いた瞬間、言葉にならない“記憶の重なり”が一気に胸に溢れてくるような経験。
これらは「時間をたどって」思い出しているのではなく、
“記憶そのものが、今の中に全体としてある”という形で感じられているはずです。
これがψ5的な記憶=持続の核の記憶です。これはベルクソンのいう「純粋持続」に非常に近いです。
⚫︎ψ6の記憶:時間発展における「展開的な記憶」
一方ψ6では、記憶は時間の流れの中で思い出されていく形になります。無数の個別の記憶(ψ3〜4)が因果を持って流れていくイメージですね。つまり、「あのときこうだった → その後こうなった → そして今がある」というように。直線的な因果の展開の中に組み込まれた記憶です。
例えば、1日の出来事を順に思い出す、とか、ある出来事の原因と結果を考えるとか。このような記憶は、順序性を持ち、時間の座標軸に沿って配置されているのが分かります。
ψ6の赤道円は、量子力学における時間発展演算子(e^{-iEt})に対応していて、ここでは「ψがどう変化していくか」が追跡されている。つまり、記憶の運動の方が重視されている感じです。
⚫︎和音とアルペジオ
つまり、ψ5の記憶が“音楽の和音”だとすれば、ψ6の記憶は、その音符の一つ一つを順番に鳴らしていく”アルペジオ旋律”のようなものですね。
NCでもう一度、ψ5とψ6の反転関係を通して、時間のあり方を確認しておくといいと思います。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: ヌースコンストラクション, ベルクソン, 量子力学