12月 19 2008
時間と別れるための50の方法(59)
●霊(ひ)足りて、身着る場所へ
とりあえずこれで人間の存在論的な意味での無意識構造の母胎となる元止揚空間(次元観察子ψ7~ψ8)の描像に関する説明は終わりになりますが、最後にこの元止揚空間の次の段階となる次元観察子ψ9~ψ10について、予告編の意味も含めて少し書き記しておきます。
1、対化の交差について
前回、ケイブコンパスで示した次元観察子ψ7~ψ8、ψ*7~ψ*8という双対的な構成のことを「元止揚の対化」と言います。早い話、これは自己側から見た人間の外面と内面(内在と外在の場所性)の総体と他者側から見たそれとの相互反転関係のことです。自他を構成する空間の間にこうした高次元の捻れ(4次元の捻れに相当します)が存在していることにより、精神は等化というその特性を用いてさらなる高次の差異を回転によって生産し、そこに「志向性(ノエシス)」という力の流動性を作り出すことが可能になってきます。
元止揚の対化(ψ7~ψ8、ψ*7~ψ*8)は、それこそ対極図にある「陰の中の陽、陽の中の陰」の関係のように、互いに互いの構造を反照させ合い、そこに複合的な構造をもたらしてきますが、こうした段階に元止揚が入ることをヌーソロジーでは「対化の交差(たいかのこうさ)」と言います。自他における人間の精神と付帯質という二組の対化が互いに交差を起こすということです。自己側から見た対化の交差の状態をケイブコンパスで示すと、おおよそ下図1のようになります。
この図1からも分かるように、対化の交差が作り出す方向性には基本的に二通りの流れが存在しています。一つは精神=ψ7が付帯質=ψ8を交差する方向性、もう一つは付帯質=ψ8が精神=ψ7を交差する方向性です。図からも分かるように、この二つの方向性は、互いの対化(精神と付帯質)の存在によって方向づけられているものであり、例えば、次元観察子ψ7のψ8への交差は裏で次元観察子ψ*7という片割れの精神が作用していることが原因となっていると考えて下さい。
この二通りの交差の部分の働きに対応するのが次元観察子ψ9とψ10で、ヌーソロジーではこれら両者をそれぞれ「人間の意識における思形(しけい)」と「人間の意識における感性(かんせい)」と呼びます。ここでわざわざ「人間の意識における」という形容句がついているのは、タカヒマラ自体には「ヒトの意識における思形と感性」や「真実の人間の意識における思形と感性」といったより上次元の思形や感性という働きが存在させられているからですが、それらについてはいずれまた詳しく説明していきますが、当面は、思形と感性という言葉が出てきたら、この次元観察子ψ9とψ10のことと考えて結構です。
2、思形と感性
思形と感性とは、簡単に言えば、外在を認識する意識と内在を認識する意識という言い方ができます。哲学の言葉で言えば、悟性と感性です。ベルクソン的に延長世界の認識と持続世界の認識と言い換えてもいいでしょう。思形は時空全体に首を突っ込んでいくことによって、時空を認識する力となっており、感性は精神に首を突っ込んでいくことによって、内在としての知覚や感情等を観察する力となっていると考えると分り易いかもしれません。
これら次元観察子ψ9~ψ10が持つ空間構造としての特徴は、元止揚の対化として存在していた内面=外面*、外面=内面*という双対性による調和的な位相の捻れが、少なくとも表面的は反古にされてしまうような働きを持っているということです。ケイブコンパスが示す矢印の構成からも直観的に分かるように、ψ9~ψ10段階に入ると、外面としての力が今度は外面*の方向を指向するようになり、また、内面としての力が同じく内面*の方向を指向するようになります。これによって、元止揚の対化が持っていた4値的な関係は見えなくさせられ、結局のところ、外面=外面*、内面=内面*という等化が起こり、自他においての外面と内面が共に同じものとして見なされるような空間構造を作り出してくるのです。
実際、わたしたちは自他の間においてモノの内部と外部の認識を共通なものとして相互了解しているはずです。モノの表面が単なる2次元の球面に見えているわけです。内部と外部の分節が起こっているわけですね。別の言い方をすれば、いわゆる内包空間として作用していた霊(たま=3次元球面)から、その一部がトポロジー的変換を受け、もの(3次元球体=点球)として顔を出してくるわけです。
もちろん、この内部/外部といった二項対立の認識回路は元止揚空間の上位に上書きされ地層化されているだけであって、基盤となる元止揚空間が完全に破壊されてしまうわけではありませんが、ただ、表層部にψ9~ψ10が被ってくることによって、元止揚空間の働きは無意識的な意識の回路として抑圧を受けざるを得ません。
細かい論証は新しく予定しているシリーズの『ケイブコンパス/4つの無意識機械』で書いていこうと思っていますが、この次元観察子ψ9~ψ10は、第56回の図2で示したように、ψ7~ψ8が自他の身体における「前-後」軸を中心とした空間認識の領域だとすれば、「左-右」軸へとその認識軸が回転を起こした世界と言うことができます。
3、左右とは5次元の方向である
これはやまと言葉風に言えば、「左(霊足り)」て「右(身着る)」世界への侵入とも言えます。「左」が霊足りて思形となった力が位置する方向で、「右」が身体を自我極として働かせるための感性が位置する方向です。左脳的な世界と右脳的世界と言った方が皆さんには分かり易いかもしれません。元止揚空間としてのψ7の力が確実化し、まさに霊が内包空間の中で充満に達するとき、4次元における個々の観察軸は前-後(自-他)を等化し、左-右方向へとその軸を遷移させ、今度はそこから全く別種の意識的な位相で世界を観察する力を持つということです。ここでいう、前-後、左-右とは、前にも言ったように身体における絶対的な前-後と左-右、いや、もっと言えば、すべての人間の身体にとっての前-後、左-右という方向性のことだと考えて下さい。ですから、実際のところ、左-右方向から世界を実像として見ることができる者など世界に一人も存在していません。これは実存的ではない第三者的な視線が人間の意識に発現してくることを意味しています。こうした第三者とはすなわち「客」のことですから、自己でも他者でもない客観者としての視線が客体を構成するためにここに登場してくることになります。この視線の在り処がヌーソロジーが説く5次元空間です(感性は5次元時空という言い方ができます)。
「直交性は観察を意味する」というヌーソロジーの鉄則からすれば、観察軸のこの左右方向への90度回転によって、精神は前-後軸が作り出していた場所の観察を可能にしているということになります。すなわち、奥行きを幅と同じもののようにして感覚化させている視線です。皆さんの意識の中にもこの左-右軸からの観察力が必ず働いているはずですから、それらが意識において何を行っているのか、その生態をより詳しく調べてみるといいでしょう。この視線は単に奥行きだけではなく、モノ概念や言語、さらには鏡像的自我といった人間の意識を構成するための様々な要素を構成させてくることになります。対化の交差とは言うなれば、人間の意識における内在的なものと超越的なものを結ぶ架橋となるものなのです。――つづく
1月 14 2009
交信記録19940130-2
● 交信記録19940130-2
水素原子に中性子がないのはなぜですか。
それは対化の交差が内面を持てないという意味です。中性子は力の交差を持つための次元ですから、それがないということは上次元に関与する力がないということです。
重水素とはなんですか。
人間の意識に内面性を持った位置を送りだすための中和の力だと思います。位置を見るための元止揚のようなもの。
三重水素とはなんですか。
中和の交差を行い、その交差がまた内面を作り出したものの現れではないですか。
■解説(この解説を理解するには「時間と別れる50の方法」をある程度読んでおく必要があります)
人間の無意識構造と意識構造としての水素とヘリウム。元素界へと直立した脱-人間としての世界認識を形作っていくためには、まずは、この水素-ヘリウム構造をしっかりと理解することが必要だ。宇宙空間をなぜ水素とヘリウムが占め、太陽や星々は何故に水素からヘリウムへと核融合を行い、物質は何故に水素とヘリウムを基盤として生成してきたのか。。こうした問いに対して科学は何も答えてくれない。
水素やヘリウムをただのエネルギーの粒として見る時代はまもなく終わりを告げる。概念を孕むことのない平板な物質。空間化した時間の中に放擲された無色、無味感想な回転運動の襞。それを外側から見るのではなく、内側から、無時間において見る新しい知性を養うこと——そうすれば、それが「わたし」と「あなた」の真の住処であるということが分かってくる。星はそれら両者の結合力から誕生していくのである。
水素とヘリウムの成り立ちを直観的に把握するには、元止揚の対化の双対性をイメージするのが手っ取り早い。『時間と別れるための50の方法』の最後で紹介したケイブコンバス表記を使えば、水素分子とヘリウム原子はおおよそ次のように表すことができる(下図1参照)。

この図での電子の意味づけは少し面倒なので割愛するが、少なくとも陽子と中性子の関係においては、人間の外面と内面の領域が自己と他者の間でキアスムを作ることによって、互いにψ7〜ψ*8、ψ*7〜ψ8という交差関係を持つことが容易に見て取れる。上でOCOTが「位置を見るための元止揚のようなもの」と言っているのは、この交差関係に生まれているψ7に対するψ*8とψ*7に対するψ8の働きのことと考えていい。その意味で重水素のカタチだけをケイブコンパス上に記すと次のようになる(下図2参照)。

ケイブコンパス上のカタチだけ見ても何のことか意味不明だと思うが、これは大雑把に言えば人間の外在認識と内在認識の様子である。外在認識が電子で表され、内在認識が中性子と陽子の重なりで表されている。この重なりは付帯質が精神の方向性を持っている状態を表していると考えるといい。OCOTは中性子のことを「こころ=人間の感性」と呼ぶこともあるので、この中性子の位置はこの図で示している位置でほぼ間違いないだろう。図からも明らかなように、「こころ」とは精神が持った方向を付帯質が正しくなぞっている状態だと言える。このようなこころが持った精神への方向性のことを「付帯質が持った進化の方向性」と呼ぶ。
フロイト-ラカンの考え方を折衷させて言うと、人間の感性は次元観察子が作り出す位置の構成によって次のような四段階の発達段階を持つと考えられる。
第一段階………口唇期。ψ1へのψ*2の交差、
第二段階………鏡像段階。ψ3へのψ*4の交差、
第三段階………肛門期。ψ5へのψ*6の交差、
第四段階………男根期。ψ7へのψ*8の交差
これらの発達プロセスによって想像界の基本的構成が出来上がるということだ。ちなみにヌーソロジーでは「人間の感性」のことを人間の外面の意識とも呼ぶ。一方、この図で電子側が交差しているところは今のところは素朴実在論者が実在だと考えている外在としての客観空間だと考えておくといい。いわゆる即自としての物質的時空のことだ。

水素にはもう一つトリチウム(三重水素)という同位体があるが、これは重水素にもう一つ余分に中性子がくっついている状態だ。これをケイブコンパス図で表すと下図3のようになる。
これは図からも分かるように、重水素に他者側の進化の方向性が加味されたものとなるが、ヌーソロジーの解釈からするとあまりいい働きを持ったものではないと言える。回りくどい言い方になるが、自己のこころが他者のこころ側に呑まれてしまったような状態を作り出すための理念的構成である。
ヌーソロジーでは元素における同位体とは対化の歪みの次元の物質的投影であり、核子に見られる陽子数を超えた過剰な中性子は進化を疎外する次元の侵入を意味している。同位体が半減期を持ち放射線に崩壊していくのは、観察精神がこの歪みを是正するための調整作用を働かせているからである。対化の歪みを人間の意識自らが是正すれば、同位体はすべて消滅し、放射能は存在の必要性をなくすとOCOT情報はいう。ここでいう対化の歪みとは、人間の意識が自我を他我化させて崩壊させている状態とでも考えておくといい。
By kohsen • 04_シリウスファイル解説 • 6 • Tags: ケイブコンパス, フロイト, ラカン, 付帯質, 内面と外面