光速度について 1(ヌーソロジー初心者向け)

光速度とは、皆さんは何だと思いますか?
秒速約30万kmという有限の値を持ちながらも、何物もこの光速度には追いつけない。
光速度に入ると、時計は止まり、空間もゼロに縮む。
そんな摩訶不思議な性質が基本仮定となって現代物理学は構成されています。

でも、ここで、ちょっと考えてみてください。
もし、私たち自身の“意識”がその「光速度」に入ることができたとしたらどうでしょう?
時間が止まり、空間がゼロに縮むというその場所に、私たち自身が“入っている”としたら?
それは単なる物理の話ではなく、むしろ「自分がどこから世界を見ているか」という問いに直接、関わってきます。なんせ、光とは「見ること」そのものことでもあるのですから。

私たちが世界を見ている位置は、見られているものたちの外にあると考えないといけません。
その「外」のことをヌーソロジーでは「無限遠点」と呼びます。いわゆる”視点”のことですね。
そう、光の速度に入るというのは、この視点に立つということなんです。ここには、世界と自分をつなぐ「4次元の視線」があります。
このことをイメージして、もう一度、今、自分はどこにいるかを考えてみて下さい。

私たちは、まさにこの無限遠点と見える世界とを結ぶ一本の視線の中にいます。
この視線は、3次元的な前後や左右、上下といった空間の向きではなく、もっと深い「4次元の奥行きの視線」です。
この視線がなければ、私たちは世界を「見る」ことも、「知る」こともできません。
だからこそ、光速度に入るというのは、ただ高速に運動するという話ではなく、世界そのものと一体になることなのです。

それは、「私」と「世界」が分かれているという感覚を超えて、“見ること”と“見られること”が一つになる場所と言ってもいいでしょう。
時間が止まり、空間が縮むというのは、自分と世界の距離がゼロになるということでもあるわけです。
そう考えてみると、光の不思議は、私たちの“意識の不思議”と、どこかでつながっているように思えてきませんか?

物理学は、光速度という極限の状態を通して、世界の成り立ちを解き明かそうとしてきました。
でもその“極限”は、もしかしたら、外の宇宙の果てではなく、私たち自身の中にある「見るということの本質」にこそ、あるのかもしれません。