生成の時間へ(ヌースやってる人向け)

OCOT情報が語る「時間に負の方向が生まれる」という言葉の意味が、ようやくハッキリと腑に落ちてきた。それは、「前に未来を見る」のではなく、「前に過去を見る」という意味だったのだ。
つまり、時間は物の側から立ち上がり、私の方へと流れ込んでくる。それが“生成の時間”の方向であり、近代以前の人々が無意識に抱いていた時間感覚だったと言える。

けれども、近代以降、人間はこの感覚を反転させ、視線の前方を未来と見なし、「私が未来に向かって進む」という構文に囚われてきた。
この構文を反転させるには、一度、自らの意識を“持続”として物の内部に入り込ませる必要がある(4次元の奥行きに入るということ)。すなわち、ψ1→ψ3→ψ5→ψ7→ψ9というように、最終的には思形を通じて、物の中で自己が再生成されるという、「位置の等換(イチノトウカン)」を起こさねばならない。

この思考体験が深まってくると──見えてくるのは、「私が物を見る」のではなく、「私が物である」という、根源的な空間の入替のリアリティだ。
これによって、自分自身が、持続としての“生成存在”であるという感覚が、ようやく芽生えてくるのである。