12月 25 2025
自分自身の本性が「持続」であること、 そして、時間とは物の側から湧き上がってくるものだという感覚が、 何となくでも理解できはじめたとき、 思考は否応なく、そのかたちを変え始める。 あなたの眼差しは、 もはや世界を「外から」測ることをやめ、 物の内奥にひそむ、 持続そのものの微かな震えに耳を澄ませはじめる。 そして、ふと気づく—— 自己の持続と、他者の持続が、 奥行きの深みでそっと触れあっていることに。 それはまだ、「共鳴」ではない。 あくまでも「接触」だ。 言葉になる以前、 構文がまだ震えている、沈黙の場。 ——そこに、「コミュニオン」の空間が開かれている。 空間構文は、その震えの中に微かに立ち上がっている。 だがそれはまだ、物としても、言葉としても、 明確な姿を持っていない。 ただ、さまざまなパターンを作って揺れているだけだ。 けれど、 あなたの中の深みが、 その震えをくぐり抜けてきたからこそ—— 今、あなたの眼前にある「この物」は、 この世界に出現することができたのだ。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0
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ヌースコーポレーション
半田広宣(ハンダコウセン)
著書 「奥行きの子どもたち」「人類が神を見る日」「光の箱舟」他
12月 25 2025
私たちが物である理由
自分自身の本性が「持続」であること、
そして、時間とは物の側から湧き上がってくるものだという感覚が、
何となくでも理解できはじめたとき、
思考は否応なく、そのかたちを変え始める。
あなたの眼差しは、
もはや世界を「外から」測ることをやめ、
物の内奥にひそむ、
持続そのものの微かな震えに耳を澄ませはじめる。
そして、ふと気づく——
自己の持続と、他者の持続が、
奥行きの深みでそっと触れあっていることに。
それはまだ、「共鳴」ではない。
あくまでも「接触」だ。
言葉になる以前、
構文がまだ震えている、沈黙の場。
——そこに、「コミュニオン」の空間が開かれている。
空間構文は、その震えの中に微かに立ち上がっている。
だがそれはまだ、物としても、言葉としても、
明確な姿を持っていない。
ただ、さまざまなパターンを作って揺れているだけだ。
けれど、
あなたの中の深みが、
その震えをくぐり抜けてきたからこそ——
今、あなたの眼前にある「この物」は、
この世界に出現することができたのだ。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0