私たちが物である理由

自分自身の本性が「持続」であること、
そして、時間とは物の側から湧き上がってくるものだという感覚が、
何となくでも理解できはじめたとき、
思考は否応なく、そのかたちを変え始める。
あなたの眼差しは、
もはや世界を「外から」測ることをやめ、
物の内奥にひそむ、
持続そのものの微かな震えに耳を澄ませはじめる。
そして、ふと気づく——
自己の持続と、他者の持続が、
奥行きの深みでそっと触れあっていることに。
それはまだ、「共鳴」ではない。
あくまでも「接触」だ。
言葉になる以前、
構文がまだ震えている、沈黙の場。
——そこに、「コミュニオン」の空間が開かれている。
空間構文は、その震えの中に微かに立ち上がっている。
だがそれはまだ、物としても、言葉としても、
明確な姿を持っていない。
ただ、さまざまなパターンを作って揺れているだけだ。
けれど、
あなたの中の深みが、
その震えをくぐり抜けてきたからこそ——
今、あなたの眼前にある「この物」は、
この世界に出現することができたのだ。