8月 9 2025
ヌーソロジーを学ぶ皆さんへ
ヌーソロジーに触れたとき、多くの人がまず考えるのは、「この理論をどう現実に役立てるか」「自分の生活や経験とどう繋がるか」ということだろう。それは自然な反応だ。
だが、言い出しっぺとして、はっきりと言っておきたい。ヌーソロジーは、そのような現実に「応用」するための思想ではない。むしろ、その逆にある。
人間が現実と呼んでいるものの意味を、根底から変えるために、ヌーソロジーの思考は存在しているということ。
私たちが日常で「現実」と呼んでいるものは、外に物があり、時間の因果が働き、主体(自分)と客体(世界)が分かれている世界だ。しかしヌーソロジーの世界感覚は、まったく違う。
物理的な世界は、自己と他者の内的持続の投影像にすぎない。外に実在すると思われている世界は、すべて意識の差異化運動の影に過ぎないのだ。
主体も客体も、この差異化の多層構造の中で、互いに反転しながら成り立っている。この視点が開けてくるとき、私たちの「現実感覚」は根底から変わる。
ヌーソロジーの学びは、日常を便利にするための知識ではない。それは、日常そのものの意味を反転させ、自己自身を宇宙そのものへと変えていく契機の提供である。
だから、学びの中で得られたビジョンを、人間的な現実に引き戻そうとしないでほしい。その内的な事実をそのまま受け入れ、外延側に適用しようとする欲望を超えていくこと。
私たちが歩むべきは、現実を従来の人間側に近づける道ではない。現実そのものを超越論的に開き直す道なのだ。
そのとき初めて、人々の中で今まで考えもしなかった新しい現実が目覚めるだろう。ヌーソロジーの学びは、その扉を開くためにある。
ヌーソロジーは、人間をそのままにしておく学ではない。それは、人間をまったく別の存在へと変容させる、宇宙の思考装置なのだ。
だからこそ、哲学的SFのイメージで、知的エンタメとして愉しむ姿勢が必要なのだ。
8月 11 2025
ヌーソロジーが一般の人たちになかなか伝わらない理由
「ヌーソロジーが一般の人たちになかなか伝わらないのは当たり前のことと思っている。自分なりに30年やってきて、その理由を考えてみると、いくつかの要因がある。
まず、第一に、ヌーソロジーは視点の反転を要求しているから。
ヌーソロジーは、単なる新しい知識体系ではなく、「世界の見方そのものの反転」を要求している思想だ。つまり、「世界がこう見えている」という常識の前提自体を、まったく別の角度から問い直そうとしている。
これは、たとえば魚に「水とは何か」と問うようなものだろう。私たちはすでに“空間が外にある”という形式で世界を経験してしまっているため、「内的な持続空間こそが世界である」「時空は〈自己〉と〈他者〉の関係から立ち上がっている」といった言葉に、そもそもピンと来ない。いや、すぐにピンとくる人など逆にいるはずもない。
https://x.com/kohsen/status/1948644059524071673
2番目は、 概念が“先取りしすぎている”こと
ヌーソロジーの思考は、量子力学や素粒子物理学、幾何学(とその変質)、意識哲学、宇宙論や存在論を統合的に扱いながら、今後の科学や人間認識の枠組みそのものの転換を先取りしているから(と個人的には思っている)。
これは、音楽で言うなら、ドビュッシーやバッハが最初理解されなかったように、「未来の知性に向けたテンションの高いコード進行」が用いられている状態だからと言っていいように思う。
つまり、時代の構文が、まだそこに追いついていないということ。
https://x.com/kohsen/status/1948645710200799700
3番目は、 “感じられる言葉”になるまでに時間がかかるから
ヌーソロジーの核心は、哲学でも科学でも宗教でもなく、詩のような感覚的構文だ。たとえば「ψ10が感性空間で、ψ9が思形空間」という言い回しは、感覚的に世界を見る新しい型を創出して入るのだが、それを“概念”としてではなく、実際に身体が“触れる空間”として受け取れるようになるには、ある種の「脱・言語的構文」への慣れが必要になる。
この意味でヌーソロジーとは、言葉の構文そのものを再構築していくようなプロジェクトでもあるため、一気には広まらず、“震えが伝播するように”少しずつ染みていく運動なのだろうと思っている。
https://x.com/kohsen/status/1948646535946010968
4番目は、共同性を形成するには当然のことながら時間がかかるから
ヌーソロジーが伝えようとしているものは、もともと“個人の内的革命”から始まるものであり、他者との間に「共有可能な世界観」を築くには、同じ方向に時間をかけて歩む仲間の存在が必要になる。”広めたい”というより、”広がりを待っている”という感じ。
自分としては、ヌーソロジーは「理解される」ためのものではなく、誰の中にもある“世界を変えたいという願い”そのものが生んだ、未来からの構文だと感じている。
なので、伝わらないことに落胆せず、「誰かに伝えようとするその行為そのもの」が、次なる空間をすでに開いているのだと信じて、歩み続けているし、この姿勢は今後も変わらない。
https://x.com/kohsen/status/1948648582380486748
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: 量子力学