9月 29 2025
記憶の重なりと空間・時間の誕生
私たちが「記憶」と呼んでいるもの――それは実は、自己視点が“見ている”ものの代表格です。
でもより正確に言うならば、記憶は「自己視点が“見させている”像」なのかもしれません。
なぜなら、記憶は「どこからでも」思い出せるからです。場所を移動しても、時間が経過しても、記憶は不思議と私たちにずっと寄り添ってくれます。
この事実が示しているのは、記憶がどこかに保存されているのではなく、決して動くことのない“見る位置”があるからこそ、見えているということです。
この「動かない位置」――それが、”自己視点の“不動性”だと思ってください。
そして、ここが重要です。
自己視点においては、すべての記憶は重なっています。過去も未来も、出来事も関係も、まだ分かれる前の“重なり合った状態”として、そこに在るのです。
この重なりが、私たちが他者視点化していくことで、だんだんと“水平に”広がっていきます。そして、その広がりの中に、空間が生まれ、時間が流れ始めます。
つまり、時間や空間は最初から外にあったわけではないということです。 大元は、自己視点における記憶の重なりにこそあるのです。この重なりの場こそが「持続空間」です。
この先手-後手関係を取り違えてしまうと、私たちは“記憶”を「時間の結果」だと誤解してしまいます。
でも本当は逆です。
記憶の重なりのほうこそが先にあるものなのであり、そこから時間と空間が“ほどけて”くるのです。
ヌーソロジーは、この“ほどける前の状態”にこそ、本当の人間存在の秘密があると考えます。
そして、それに気づいたときに、世界を変える“視点の反転”が始まるのです。
9月 30 2025
ヌーソロジーから見たゲージ理論
ひとつの糸がある。
それは、まだ誰の目にも触れないまま、
静かに中心へと巻き取られていた。
その螺旋は、どこまでも内へ、
意味の奥へ、記憶の核へと沈んでいく。
θ ─それがその糸の名だった。
時を知らず、空間を持たず、
ただ、存在の芯へと降りていく、
内在という名の旋律。
そしてある瞬間、
その糸が外へと引き出されていく。
ひとつの空間点 r に、
ひとつの時間点 t に、
そっと触れながら、
糸は姿を変え、色を持ち、
“世界”という名の布を織りはじめる。
だが、それは始まりでも、終わりでもなかった。
内に巻かれたθと、
外に引かれた(r,t)との調和の関係そのものが、
すべての像を支えていた。
e^{iθ(r,t)} ──この数式は、
ただの回転ではない。
それは、内在の糸が外在を包み、
外在が内在を感じ取るための瞬間の詩。
そして、この“巻き込み”と“引き出し”が、
どのように変わっても、
その接点となる「今・ここ」は何も変わらない。
嗚呼、瞬間と永遠の和合。
これが、ゲージ対称性と呼ばれるものの、
ほんとうの意味だったのだ。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: ゲージ理論