3月 18 2014
ミューズたちも舞い降りている
友人の尾崎さんからナターシャ・グジーさんというロシア女性が唱っている「千と千尋の神隠し」の主題曲「いつも何度でも」のビデオを紹介された。歌声も素晴らしいのだけど、曲の歌詞を改めて見て少しびっくり。
こうした純朴な詩は自分の狭隘な趣味から言えば好みじゃないのだけど(笑)、ナターシャさんのルックスも相まってか、古代ギリシアから舞い降りたミューズの歌声に聞こえた。
ゼロになるからだ。それを充たすこと——。
歌は5分30秒あたりからデス。
「いつも何度でも」
作詞/覚 和歌子
作曲/木村 弓
呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心躍る 夢を見たい
かなしみは 数えきれないけれど
その向こうできっと あなたに会える
繰り返すあやまちの そのたび ひとは
ただ青い空の 青さを知る
果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける
さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる
生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ
呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも何度でも 夢を描こう
かなしみの数を 言い尽くすより
同じくちびるで そっとうたおう
閉じていく思い出の そのなかにいつも
忘れたくない ささやきを聞く
こなごなに砕かれた 鏡の上にも
新しい景色が 映される
はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ
海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに みつけられたから
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9月 18 2015
フォニオの匂い
前回の大阪レクチャーでは1時間だけドゴン神話の話をした。ドゴン神話自体、膨大な体系を持っているので、とても短時間で語り尽くせるものではないのだけど、その中でも僕が一番大事なポイントではないかと感じているフォニオ(phonio)の話に時間を割いた。フォニオとはドゴンの創造神アンマが作り出した宇宙の種子のことを言うんだけど、配布したレジメには、このフォニオについて次のようにまとめてみた。
・アンマは宇宙の創造にあたって自らの内部にフォニオという種子を形成する。
・フォニオは物質の起源と言われる。
・フォニオは双子であり、回転している。
・フォニオはこの世で最も小さいものの象徴であるが、すべてのものを入れるための倉でもある。
・フォニオが〈最も偉大な穀物〉であるといわれるのはそのためである。
・フォニオは七階層の振動を作り出している。
・フォニオは22のヤラからなる。
ドゴン神話では、このフォニオは七段階の振動を作りながら自らの内部で螺旋状に成長していくと言われているんだよね。そして、この七段階の振動をひとつひとつ成長させていくのは、種子の生命の本質とされる言葉の活動とされている。十分に種子が育つと、そこからフォニオは螺旋状の旋回の方向を反転させて、今度は自らを双子化させて世界を開いていくとされるのね。ここにドゴン族においてもっと重要な聖数とされる「7×2=14」という数が生まれてくる。この「14」は同時に創造神アンマが宇宙を創造するに当たって、回していく空間の数とされているものでもあるんだよね。
このフォニオをどのようなものとしてイメージするかは、もちろん人それぞれ自由でいいと思うんだけど、僕の場合は、やっぱり真っ先に現代物理学が展開している素粒子論が頭に浮かんだ。それは現代科学の知見として確かに物質の起源となっているものでもあるし、右巻き/左巻きといったスピンを持つように、それは双子的で、数学的には回転も行っている。
現在の物理学の最先端研究はM理論と呼ばれる理論で、この理論は11次元で定式化されているのだけど、その中に11次元超重力理論というのあって、この11次元というヤツは、僕らが外在と呼んでいる4次元時空と小さくコンパクト化した7次元に分けることができるんだよね。このコンパクト化した7次元は7次元球面という高次の球面で構成されていて、僕のイメージの中ではこの「7次元球面」と、ここにある「フォニオが持った七階層の振動」というのが深く関係している。
で、問題は四番目に書いた「フォニオはこの世で最も小さいものの象徴であるが、すべてのものを入れるための倉でもある」ってところ。ここがフォニオの匂いを感じるために最も重要な箇所なんだよね。最も小さいものなんだけど、それは同時にすべてのものを包み込める倉のようなものにもなっているということ。
素粒子が集まって物質ができ、この現象世界が展開している、というのは簡単にイメージできるよね。そこで、それをイメージしているのが人間ってことになるんだけど、そうやって宇宙全体を一つのイマージュの中に包み込んでいるのは人間の意識そのものだよね。ここなんだよね。ここ。目の前のパソコンだって、窓から見える街並だって、空を照らす太陽だって、逆に言えば、人間の意識が全部包み込んでいる。つまり、人間の意識はすべてのものを入れるための倉になっているということなんだ。そして、その倉が物質の起源だとするなら、宇宙は内在の環で実は閉じているってことになる。嗚呼、スピノザよ!!って、思わず叫びたくなる。(笑)
創造の始まりと終わりの結節が「人間」だと言っているのはそういう意味だと思うといいよ。そして、フォニオとしての人間は言葉の活動を通じて、この種子を何とか発芽にまで持っていこうとその歴史を一生懸命、進めていく。そして、最後には、再び、始まりのものとなって「14」の空間を回していく。。。
そういうストーリーになっている。
終わりのものから始まりのものへの反転の身振りは、それこそ、ルシファーライジングのようなイメージだね。土中は暗くて、息苦しくて、辛くて、希望も何も見えないかもしれないけれど、発芽が起これば、真っさらな純白の裸体に戻って、7つの扉が鏡合わせで開いていき、誰も、実は双子だったんだってことが分かってくる。。七階層の魂の鼓動。七つの音階。そして七種のリズム。ドゴンのダンスが浮かんでくる。。
そういうイマージュを全部詰め込んで、レクチャーではドゴン族に伝わる無数のトング(宇宙のエネルギー図のようなもの)や彼らのスナップ写真を集めて、スライドショーを作ってそれをエンディングに使ったんだよね(BGMは皆さんおなじみ、エニグマの「Return to innocence」)。
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間に、今でも尊敬して止まないマルセル・グリオールとジュルメーヌ・ディテルラン女史の若き日と老いた日の姿を挿入させてもらった。これは余談だけと、何を隠そうワシ、若き日のジュルメーヌに淡い恋心を抱いてしまったこともあったのでした。でへ。嫁、ごめん。笑
時はいつも通り流れ、人々は皆、老いていくけれども、魂は永遠にイノセンス。フォニオの発芽はもう始まっていると思うよ。
By kohsen • 01_ヌーソロジー, 07_音楽 • 0 • Tags: ドゴン, フォニオ