12月 3 2025
素粒子を内的なものに変えること
物質主義が世界を外に押し広げ、
霊性主義が世界を内に閉じ込める。
この二項はもはや対立ですらなく、
互いに背を向けたまま空転している。
だが、世界は本来、内と外を分けてなどいない。
私たちの意識の深奥において、
空間は構文として織り上げられ、
そこに「素粒子」という他者が立ち現れているにすぎない。
だから、いま必要なのはただ一つ。
素粒子を「外なる客体」として見るのをやめることだ。
それを、自らの認識の構文、
つまり“内なる持続の裂け目”として再発見すること。
意識の内に宿る空間構文——次元観察子なる空間構造体。
そこにおいて、物質と精神が交差している。
それが分かれば、私たちは、もはや信じる必要はなくなる。
とにかく、見るのだ。
物質の最深部に、自分がいることを。




12月 4 2025
尺度で空間を観るのをやめよう
――ヌーソロジー的・空間構文からの4次元認識
私たちは、空間を「長さ」や「大きさ」といった尺度で捉えることに、あまりに慣れすぎている。しかし、ヌーソロジーの視点から空間を眺めるとき、この尺度的な視線は根本的に問い直されることになる。そこに立ち現れるのは、空間そのものが「見ている位置=観察位置」を内包しているという、新たな空間構文の姿だ。
◉ 空間に「見る位置」が含まれるとき、次元が変わる
たとえば、通常の三次元空間 R^3 に「観察者の視点」、つまり無限遠点を加えると、空間は球面 S^3に閉じられ、コンパクトな構造として立ち現れてくる。このとき出現する“外から空間を見ているもう一つの次元”こそが、ヌーソロジーでいう「第四の方向=4次元」だ。それは時空的な拡張ではなく、空間を空間として見ている場所――すなわち、見るという行為の構文そのものに関わる軸になっている。
◉ 無限遠点が生む、スケールを超えた対称性
この空間のコンパクト化は、単に技術的な変換にとどまらない。無限遠点を導入することで、空間はスケール(距離や大きさ)による意味づけを失い、角度や構造を保存する共形対称性が支配する空間へと変貌する。こうして生まれるのが、距離の絶対性を脱構築する共形場理論(CFT)の世界である。そこでは、「どのくらい離れているか」ではなく、「どのように関係しているか」が問題となる。言い換えれば、スケールは捨てられ、”構文”が立ち上がるのだ。
◉ 空間を構成するのは、「位置関係」そのもの
ヌーソロジーでは、この構文的な空間の中心に「観察位置」を据える。4次元とは、単に物理的な軸ではなく、内と外を繋ぐ視線の射影軸であり、そこから空間そのものが構成されているのだ。尺度とは無関係に、どこから見るか、どの角度で見るかが空間の構文を決定する。ここでは、視点そのものが空間の論理を生み出してくる。
◉ 思考と空間に共通するスケールの無意味化
言語や概念が「大きさ」や「長さ」に依存せずに意味を形成するように、空間の意味生成もまた、尺度によってではなく、捩れや関係性のトポロジーによって行われている。ここにおいて、空間はもはや幾何的対象ではなく、視点によって構文化される思考、それ自体の空間へと変わる。
だから、繰り返すと、私たちは、そろそろ「尺度で空間を観るのをやめる」べきだ。それをメインにするな、という意味でね。
そうすれば、今度は意識が見えてくる。ほんとに。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: CFT