存在の時間と存在者の時間

OCOT情報は宇宙の膨張は人間の感性の働きが物理学的に表現されたものだと言っていた。
これを群で表現したものが、SO(1,4)という群で、ド・ジッター群と呼ばれている。これは時空全体をSO(1,3)のローレンツ群とした場合、そこに膨張方向としての空間次元を一つ加えたものになっている。

AdSとは反ド・ジッター群の意味で、ある意味、このド・ジッター群が反転したものと考えるといい。だから「反」が頭についているわけだ。このAdSは群としてはSO(2,3)で表現される。SO(1,4)とSO(2,3)を並べて見ればすぐに分かると思うが、ドジッター群の4次元目の空間が時間に置き換わって、5次元の構成が変化している。

これは、ヌーソロジー的に見るなら、人間の意識から感性が失われ、他者側の思形(時間)が自己側の時間に入り込むという意味になる。つまりは、自己が他者世界へと投げ込まれる様子がこの「反」には含まれているわけだ。
時空のあり方の変化から見るなら、この5次元で起こっている出来事によって、自己は他者と同等に並べられ、「人間」という名で一括りにされていることになる。

そうなると、必然的に自己本来の存在の時間が隠され、存在者の時間が幅を利かすようになってくる。存在者の時間とは、時間の由来が自己の内部にあることを知らない、死んだ時間のことである。
自分とは関係なく、最初から時空が外にあると考えている、現在の私たちの時空観、時空感覚は、すべて、この存在者の時間が与えているものと考えていい。