2月 14 2022
スピンとは「死」が幾何学化されたもの
ヌーソロジーに出てくる垂質(Ψ5~6)という概念は、物理学ではブロッホ球(下図)と呼ばれているものに対応しているのではないかと思う。時空が反転したものがそのまま持続空間になっているということだ。
ブロッホ球では、垂子の対化(Ψ3~4)は球-線変換によって虚軸と実軸へと変換されている。このブロッホ球は、その意味で、キットカット実験(下動画)で感覚化される球空間と同じものだと考えていい。
これは「前」が小さく縮んで物質粒子になっているというのと同じ意味だ。
何でこんなものが時空上のミクロに生成されているのかというと、それは私たちが見られる空間を拠点にして世界を認識しているからに他ならない。見られる空間においては、自分の肉体が自己中心化されてしまう。その意識の反動が、「見る空間」すなわち「奥行き」側を粒子としてもたらす。
実際、量子力学に登場する生成消滅演算子の仕組みにもこれと同じような構造が見られる。「奥行き」への覚醒が起これば、観測者はブロッホ球と同化し、粒子は消滅するということになる。
念のために、もう一度キットカット実験の動画を挙げておこう。キットカットを原点とした周囲の空間の回転に留意して、この映像を見て欲しい。
この回転でイメージされてくる球空間の球面を観察している位置がOCOTのいう「無限遠点」だと考えるといい。そこに自分自身の位置を置くと、私たちが経験している全空間は一本の線分の中に畳み込まれていることが分かる。不動の前のことだ。それがスピンの正体だと考えるといい。
このことが理解できれば、君も今日からスピナーズだ!(笑)
スピンとはおそらく幾何学化された「死」だ。こうした「死」が無数集まって。今度は球精神(Ψ7~8)と呼ばれるより高次の球空間を作っている。そして、それは「地球の位置」だとOCOT情報は言っている。
すべての人間の奥行きが一点で交差している位置・・・。確かにそうだわ。
とにかく僕にとってはヌースの空間思考は最高のSFなんだよね。ほんと、モノリスの中へと引き込まれていく感じ。OCOT情報の解読は恐ろしいほどに苦痛だったけど、一つ一つの壁を抜けたときに流れ込んでくる快感がまさにエクスタシーで、ここまで続けられてきたという感じ。
Ψ13~14のゴールを目指して頑張るぞい。
4月 4 2022
なぜ、メタバースなるものが登場してきたのか
Φ=WHY?
ヌーソロジーについて語るときのkohsenさんの立ち位置ってホント大変だと思うんですよね。長年kohsenさんウォッチャーをやってると、昔と比べて、kohsenさんのOCOT情報解析はますます進んでいて、格段とその精度は上がってきていることを感じます。
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Φさん、ありがとうございます。大変です(笑)。多分一番大変なのはヌーソロジーが持った問題意識がなかなか伝わらないというところです。僕自身はOCOT情報が要請するゲシュタルト変革の方法論を提示していくことがヌーソロジーの真髄だと思っているのですが、このことの意義がなかなか伝わらない。
この問題意識は哲学の言葉で言うと、認識論→存在論への移行を意味しますが、存在論という考え方自体、世間一般にはほとんど浸透していないので、この辺のカベは本当に厚いです。
OCOT情報の一番のキモは、4次元認識がこの存在論の思考に直結していると断言しているところです。つまり、見るものと見られるものを分けない、文字通り、自然と人間が一体となって活動している視座が4次元認識において初めて与えられてくると言ってるところ。
4次元という数学概念と存在論という哲学概念がそこで重なり合うのが何と言っても魅力的で、しかも、ここに物質の成り立ちと精神の関係や、自己意識の発生の問題などもダイレクトに関わってくるので、それこそ、この4次元認識は科学と哲学の垣根を取り去る可能性を秘めている。
それどころか、対象なき世界の認識が生まれることによって、自己もまた自動的に変容を蒙り、自然のなかにおける自己の位置や役割が高次元の経験によって観えるようになってくる。実際、このことをOCOT情報なんかは「人間の意識進化」と呼ぶわけです。
ただ、この対象なき思考というのが、対象思考しか知らない僕たちにはキツイ(笑)それに加えて、この思考を進めていくための信頼できる正確な補助線は、残念ながら自然界においては素粒子構造の中にしか現れていない。そこがまたダブルパンチでキツイ(笑)
素粒子世界が3次元認識で描像できない理由もまさにそこにあるわけで、裏を返せば、その描像の達成のみが、人間の精神を自然の本性へと回帰させていくというカラクリになっている。OCOT情報のシナリオではですね。そして、そのシナリオの実現に忠実に挑んでいるのがヌーソロジーなんです。
今流行の言葉を使うなら、本来的なメタバースへの移行ということになると思います。人間の対象意識がメタバースなるものへと移行しようとしていることの反動だと考えると分かりやすいかもしれません。以前UPした「西田幾多郎」(永井均)に掲載されていた図を使ってその関係性を示しておきます。
この図からもすぐに分かるように、ヌーソロジーの考え方では、メタバース空間というのは存在の循環からの逸脱にあたります。ただ、その逸脱があるからこそ存在への回帰も可能になるということ。コンピュータのようなものが出てきたのも存在史的必然だということなのでしょう。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: OCOT情報