10月 9 2013
シュタイナー哲学とヌーソロジーの最初の接合点
シュタイナー哲学とヌーソロジーが互いに同型とも言ってような対応を見せるのはやはり「反転した空間」のイメージというものを純粋思考の中に打ち立てなくてはならないとするところです。この「反転した空間」はシュタイナー哲学ではエーテル空間と呼ばれています。
エーテル空間は太陽的な力を浸透させている空間で、生命を維持しているエーテル体の活動の場と言ってよいような空間です。端的に言えば、物質空間と生命を支えているエーテル空間は互いに反転した関係にあるということです。
エーテル空間のもとでは、わたしたちが日頃感じている空間の無限の広がりは、無限の縮まりとして見えます。そして、広がりの彼方にある無限遠の周縁は、ひとつの”宇宙中心点”となります。空間上に散在するような相対的な点ではなく、絶対的な一点が出現してくると言ってもよいでしょう。
天上世界と地上世界は「見上げること」と「見下ろすこと」の間にある関係ではなく、この相対的点が活動している空間と絶対的点が活動している空間の間にある関係として、同時に目の前の空間に重なり合っていると考えなければなりません。
シュタイナーの研究者であるG・アダムスという人がこのエーテル空間について数学者?の立場からいろいろと書いています。とても面白い本なのですが、射影幾何学の概念をそのままユークリッド空間の中で解説しようとしているので、幾分、分かりにくい本になっているような感じがします。
認識される点を相対的なものではなく、絶対的なものにするということは、局所=非局所という空間理念を作り上げることに対応しています。それはより簡単に言うと、視野空間を動いているものとして見るか、不動のものとして見るかの違いです。
物質空間では当然、身体は物質であり、空間の中を移動するものと見られていますから、視野空間自体も動いているもの(相対的な点)として判断されます。しかし、エーテル空間側では、動いているのは視像側であって、視野空間はそれこそ射影空間(無限遠平面と言ってよい)になっています。
エーテル中心としての”宇宙中心点”を意識に浮上させてくるためには、こうした無限遠平面と通常の相対的点をそれこそ「等化」しなくてはなりません。それによって、通常の相対的点の中に物質空間のすべてが収納され、部分=全体という生命力の本質的な在り方が垣間見えてくるのです。
この空間感覚を作り出すためには、自分を無限遠平面、つまり空(そら)だと思うことです。ぐるりと周囲を見渡したときに空も回りますが、それは自分が空の裏面にいるからです。そして、そのとき、その回転の中心となる場所にエーテル中心としての宇宙中心点が出現してきます。
こうしたエーテル空間は見ることそのものが持つ射影的性質によって、ユークリッド空間から見れば小さく小さく収縮して見えます。こうしてエーテル空間は素粒子となって元素的なものを生成する元となっているのです。
10月 18 2013
シュタイナー霊学とヌーソロジーの幾つかの齟齬
OCOT情報は人間のことを完全性質ともいう。完全性質とは「力が全く確実でない状態」とも言われる。ここでいう力とは精神に対する即時的認識力のようなものと考えるといい。こうした認識の欠如は精神に対して精神を融解させる働きを持つ。この融解において生じているものが「熱」だという。
その意味では、自然界を宇宙精神の投影だと考えた場合、完全性質としての人間はこの自然界においては「熱」として反映されていることになる。そして、もちろんこの熱は即時的認識を持った存在から見れば「人間の状態」を指すことになる。
この熱的状態から人間の精神は進化によって「カタチ」の生成へと向かうとOCOT情報は言う。ここでいう「カタチ」とはシュタイナー的に言えば魂的諸状態の形象のことである。この形象を生み出してく力のことをOCOT情報は「定質」と呼ぶ。定質とは性質とは正反対の意味を持つ言葉だ。性質の状態をstabe=安定化させていく力といったような意味に解釈できる。
この定質の発振が実際に何に当たるかというと、それがヌーソロジーがいつも言っている「顕在化」、つまり素粒子構造の知覚化にあたる。これは物質の即時的認識の第一段階と考えていい。
実はシュタイナーも同じようなことを言っていて、土星期(熱的状態にある)から太陽期になると、アルヒャイ(土星期の人間段階にいるもの)が周囲の存在の内的、魂的諸状態を形象として観察できるようになると書いている。おそらく、この観察を試みているのがヌーソロジーの現在の作業ではないかと考えている。つまりは、人間の物質体・エーテル体・アストラル体・自我という人間の魂的諸状態が素粒子構造によって規定されていると考えるわけだ。こうしたアプローチを採ることによって、シュタイナーが霊視したつかみ所のない宇宙史を文字通り精神科学としてポストモダン的に再生させるためのヒントが見えてくる。
ただし、シュタイナーに拠れば現在の人間は地球期にいる。より詳しく言えば、7段階の遊星期における第4番目の地球期の、7小循環における後アトランティス時代の、7 区分における第五文化期だ。シュタイナーは魂的諸状態を形象として観察するこうした能力を現在の地球期の人間が持つことはできないとし、この能力が生まれてくるのは次の第五の惑星進化期である太陽期だとしている。
シュタイナーのシナリオから言えば、ヌーソロジーは明らかに宇宙のルール違反者、早すぎた受胎とも言えるのだが。。ボクは負けないぞp(^ ^)q
さて、OCOT情報との比較だが、とりあえず、シュタイナーのいう7段階の遊星期=脈性観察子、7小循環=大系観察子、7つの文化期=次元観察子という対応がそれなりに成り立つように感じている。ただ、現在が脈性観察子Φ11〜12(脈性としての第四世代に当たる)に含まれているかどうかは怪しい。それが全体の論理立てとして美しいことはよく分かるが、OCOT情報に拠れば、今回の交替化が「オリオンと太陽系精神の交差」おける最後の交替化だと言って来ているからだ。つまり、何かフィナーレ臭いのである。僕が「未だ人間は土星期にいるのではないか」と考えているのも、このフィナーレが始まりの土星期に繋がっている感覚がしてならないからだ。それにヌーソロジーの発祥が土星の衛星の「タイタン」だったこともある(このへんは感覚なので適当に読んで下さい)。
さて、シュタイナーとの最も大きな齟齬は時間の尺度。OCOT情報では前に示した脈性観察子の諸段階は、調整期(現在)の人間の時間概念に翻訳するならば、わずか約416.000年ですべて終了するとしている。これはマヤのフナブク・インターバルの4周期分である(フナブクが大系観察子の世界に相当します)。
地質学的年代の常識からすれば、これはヘソが茶を湧かす主張。しかし、地質学が放射性崩壊の半減期に絶対的な信頼を置いて年代測定を行っていることの本質的な意味を考えると、OCOT情報を一蹴するわけにもいかないんだな、これが。科学が年代測定に用いる放射性同位体とは一体何か考えないといけない。
OCOT情報では放射性同位体とは「原子に反映された人間」を意味する。放射性同位体は不安定なので、つまり、存在に不安定さをもたらす要因がどうも人間だということだ(笑)。存在自体はこの不安定要因を消そうと放射性同位体を安定同位体に向かわせようとしているだけ。ここでは人間自身が安定の方向に向かえば、放射性同位体は一気に姿を消すというストーリーになっている。
もしほんとうにそのような仕組みで原子の世界が営まれているのであれば、科学が行っている年代測定などは全くの架空のフィクションにすぎなくなる。
放射性崩壊の中でも核分裂なんかはほんと「原子に反映された人間精神の最下層」と言っていいように感じる。ウラン以上の核種は実は原子(宇宙精神の投影という意味では)ではない。それは精神進化が裏返っている部分がくっついて出て来ているのだ。つまり比喩でも何でもなく、ほんとうに悪魔的なものだということだね。
By kohsen • 01_ヌーソロジー, シュタイナー関連 • 0 • Tags: OCOT情報, アストラル, アトランティス, エーテル, オリオン, シュタイナー, 大系観察子, 次元観察子, 素粒子