12月 30 2024
よみがえるプラトニズム
以前、AdS/CFT対応はプラトニズムを物理学が証明したものだと断言しましたが、この直観についてジピと議論して、その結論を下に分かりやすくまとめさせました。参考にしてください。
洞窟の壁の本質は、自己が他者視点で世界を見たときに、そこに洞窟の壁が生まれるということ。これは人間の認識が常に局所的なものであるということを意味します。この局所への志向性を持つ空間がAdS空間です。言葉による客観認識が生まれている空間のことです。
一方、自己視点で見ている主観空間は本来、「いつでも今、どこでもここ、どれでもこれ」というような非局所的空間になっています。この空間がCFT空間に対応し、ここで人間の自己意識の構造が生み出されています。このCFT空間の構造がAdS空間に射影されたものが素粒子だと考えてください。局所に非局所がたたみ込まれて、影を落としているわけです。
「部分は全体を含み持つ」というホログラフィー原理がここに働いているわけです。——この仕組みを全部、認識できる意識になろうよ——と言ってるのがヌーソロジーだと思ってください。物質と精神の統合はこのホログラフィック認識の達成によってやってきますよ、と言ってるわけです。
AdS空間においては「他者視点を借りる」わけですから、こうしたホログラフィックな構造は自己と他者という二つの存在がないと成り立ちようがありません。人間は、今、存在の原理を司る、このような新しい自己/他者関係に気づくときが来ているのではないかと思います。AdS/CFT対応の出現は、そのような時代の要請です。ここに立ち上がってくるのが、ヌーソロジーが考える「コミュニオン」の世界です。
他者視点でしか世界を見ようとしないAdS的主体が、今、私たちが自我と呼んでいるものだと考えるといいと思います。真の主体はCFT空間に住む主体です。影の世界からイデア世界への回帰は、このCFT空間を見い出すことによって可能になりうると思います。
5月 26 2025
存在の時間と存在者の時間
OCOT情報は宇宙の膨張は人間の感性の働きが物理学的に表現されたものだと言っていた。
これを群で表現したものが、SO(1,4)という群で、ド・ジッター群と呼ばれている。これは時空全体をSO(1,3)のローレンツ群とした場合、そこに膨張方向としての空間次元を一つ加えたものになっている。
AdSとは反ド・ジッター群の意味で、ある意味、このド・ジッター群が反転したものと考えるといい。だから「反」が頭についているわけだ。このAdSは群としてはSO(2,3)で表現される。SO(1,4)とSO(2,3)を並べて見ればすぐに分かると思うが、ドジッター群の4次元目の空間が時間に置き換わって、5次元の構成が変化している。
これは、ヌーソロジー的に見るなら、人間の意識から感性が失われ、他者側の思形(時間)が自己側の時間に入り込むという意味になる。つまりは、自己が他者世界へと投げ込まれる様子がこの「反」には含まれているわけだ。
時空のあり方の変化から見るなら、この5次元で起こっている出来事によって、自己は他者と同等に並べられ、「人間」という名で一括りにされていることになる。
そうなると、必然的に自己本来の存在の時間が隠され、存在者の時間が幅を利かすようになってくる。存在者の時間とは、時間の由来が自己の内部にあることを知らない、死んだ時間のことである。
自分とは関係なく、最初から時空が外にあると考えている、現在の私たちの時空観、時空感覚は、すべて、この存在者の時間が与えているものと考えていい。
By kohsen • 01_ヌーソロジー • 0 • Tags: Ads, OCOT情報, ド・ジッター